をなくしてしまって……」
「まあ、お落としになったんですか? ポケットへお入れになっておりましたの?」
「確かに入れておいたはずなんだが……」
「では、一応わたしのほうの生徒にも訊いてみましょうか?」
 鈴木女教員はそう言って、教壇へ戻った。
「さあ、ちょっとペンを置いて。こっちを見て。……吉川先生が蟇口をおなくしになったそうですけど、みなさんのうちに拾った方はありませんか? 拾って、先生に届けようと思っていて、まだ届けずにいる人はすぐ先生のところへ持っていらっしゃい。……いますぐに先生に届ける人は、その人は正直な人です。たとえ拾ったものでも、その、その人は、泥棒……」
 ここまで話したとき、一人の女生徒、千葉《ちば》房枝が机の横にばたりと倒れた。
「どうしたの? 房枝さん! どうしたの?」
 鈴木女教員は慌てて教壇から下りていった。房枝は静かに起き上がって、真っ青な顔をしておどおどした目で鈴木女教員の顔を見詰めた。
「どうしたの? まだ頭が痛むの?」
 房枝は鈴木女教員の視線を避けるようにしながら、静かに首を振った。
「ではどうしたんですの? あなた、吉川先生の蟇口を拾わなかったこと?」
 房枝はなんとも答えなかった。ただじっと、鈴木女教員の顔を見詰めた。
 固唾《かたず》を呑《の》むようにして房枝の席のほうを見詰めていた生徒たちが、ひそひそと囁《ささや》きだした。房枝が拾ったのではないだろうか? そんなことが囁き交わされているのだった。
「房枝さん、あなた本当に知らないのね」
「…………」
 房枝は小刻みに顫《ふる》えながら頷《うなず》いた。
「では、まあ、あなたは病気なのだから、宿直室へ行って休んでなさい。……ね。さあ、一緒にいらっしゃい」
 鈴木女教員はそう言って、房枝を連れて教室を出ていった。

       5

「まあ、そこへお坐《すわ》んなさい」
 房枝は宿直室の片隅に坐らせられた。
「房枝さん。あなた、吉川先生の蟇口、ほんとに知らないこと?」
 鈴木女教員は机の上に両腕を這《は》わせながら訊いた。しかし、どんなに突っ込んで訊いても、房枝は微《かす》かに顫えながら彼女の顔を見詰めるだけだった。彼女の気持ちはますます焦《じ》れていった。
「もしお金が欲しいのならお金は先生が上げますから、吉川先生の蟇口はお返しなさい。……ね、もし蟇口はもうどこかへやってしまったのなら、ただ正直にそのことを先生に話しなさい。みんな先生がいいようにしてあげるから……あなたが正直に話しさえすれば、お金だって先生が出してあげてもいいわ」
 房枝は泣きだしそうな顔をした。そして、何か言いたそうに唇をひくひく動かしたが、そのままなにも言わずに、顔を伏せてしまった。
「房枝さん、あなたはどうして正直に言えないの? ではいいことよ。あなたのお父さんに来ていただいて、何もかもみんなお話しするから……」
「先生」
 房枝はそう言ったまま、そこへ倒れてしまった。
 拷問というほどのことではなかったのだが、房枝はそれをひどく突き詰めて考えたのだった。そして、二度までも軽い脳貧血を起こした。しかし、房枝はそのまま家に帰されなかった。そしてその夕方、房枝の父親が学校に呼ばれた。校長と首席訓導の吉川先生と、受持ち教員の鈴木先生にそれに房枝の父親が加わった四人で、房枝の口からなんらかの言葉を引き出そうというのだった。
「お房! おめえどうしても言わねえんなら、おめえの口を引き裂いてしまうぞ!」
 父親がこう言って房枝の肩に手をかけた。
「まあ、まあ、そうまでしなくても……」
 校長は父親を宥《なだ》めて自分でいろいろと訊いてみたのだったが、房枝の口は錆《さ》びついたドアのように動かなかった。固い決心の表情で噛《か》み締められているのだった。
「お房! おめえなぜ黙ってるんだ?」
 房枝の父親は掴みかかろうとするのだった。
 校長はそれを押し止《とど》めて言うのだった。
「とにかく、こうなってはどんなことをしたって訊こうなんて無理ですから、二、三日の間、鈴木先生のところへ預けることにして、学校も休ませておいて、よく気を静めさせたら、あるいは自分から言うかもしれませんから」
「意地っ張りな! ほんとに」
「では、千葉さん、あなたはお帰りになってください。房枝さんは今夜から鈴木先生のところへ泊めてもらうことにして……鈴木先生も房枝さんを特別かわいがっていたようですし、房枝さんもことに鈴木先生を慕っているようですから。……かえってそのほうが怜悧《れいり》な方法だと思いますから……」

       6

 鈴木女教員の手に預けられた房枝は、その下宿の一室にほとんど幽閉された形で一週間を送った。その間を房枝はろくろく食物も摂らなければ、一言の言葉も口に出さなかった。
 そ
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング