して、房枝は一週間目に、鈴木女教員が学校へ出ていったあとで、その下宿の二階の鴨居《かもい》に自分の赤い帯をかけて、みずから縊《くび》れて死んだのだった。
 房枝の死体をいちばん先に見つけたのは、その素人下宿の女主人だった。机の上に二本の手紙が残されてあった。一本は鈴木女教員に、他の一本は父親に宛《あ》てたものだった。
 父親に宛てた房枝の遺書は意外な、あまりにも意外なことを物語っていた。

 お父さま。いろいろご心配をかけて済みませんでした。お父さまがこの手紙をご覧くださるときには、わたしはもう死んでいるのですから、何もかもみんな申し上げておきます。しかし、これはお父さまに、わたしがどんな子供であったかを知っていただくためにだけ申し上げるのですから、どなたをも責めないでください。
 わたしはどんなにそれが欲しいからとて、他人《ひと》さまのものをとるような子供ではありませんでした。わたしは吉川先生の蟇口をとった人を、ちゃんと知っているのです。しかし、その人はわたしのいちばん好きな、わたしのいちばん尊敬している方なのです。そしてまた、わたしをいちばんかわいがってくださった方なのです。お母さまのないわたしを、お母さまと同じようにかわいがってくださった方なのです。ですからわたしは、お父さまとその方をこの世の中でいちばん好きだったのです。もしかりに、お父さまが他人さまのものをとったことをわたしが知っているとして、わたしの口からお父さまの名を申し上げられるでしょうか? どんなに酷《ひど》い目に遭わされたとて、たとえ八つ裂きにして殺されても、それを申し上げられないことはお父さまもご承知くださることと存じます。あの時に、わたしはお母さまのないわたしを、お母さまのようにかわいがってくださった方のことを、どうしても申し上げられませんでした。
 しかし、わたしはこれから死んでいくのです。お父さまがわたしのことについて安心してくださるように、何もかも申し上げてまいります。吉川先生の蟇口をとったのは、鈴木先生でございます。
(これは本当に、だれにも話さないでください。そして、やはりわたしがとったことにしておいてください。そして、お父さまだけが、わたしが決して悪い子供ではなかったことを思っていてください)
 その日の昼食後の休み時間に、わたしは頭が痛むので教室の中で一人で休んでおりました。すると運動場のほうの窓に、吉川先生が洋服をかけていかれたのです。それから間もなく、鈴木先生が教室に入ってきて、その洋服のポケットの中を探りました。そして、中のものをご自分の懐の中に押し込みました。わたしは目が眩《くら》むほど驚きました。わたしのいちばん好きな、いちばん尊敬している鈴木先生が、そんなことをするのですから。どうぞ、だれにも話さないでください。鈴木先生は悪い方ではありません。きっとあの時、魔とかいうものがさしたのに相違ありませんから。
 午後の授業が始まると、すぐに蟇口がなくなったという騒ぎが始まりました。すると、鈴木先生はご自分がその蟇口を持っているのに、生徒のわたしたちに拾った人はないかと訊くのです。わたしはこの世の中で、わたしがいちばん偉い方だと思っている、わたしのいちばん好きな鈴木先生がそんなことをなさるので、驚いて目が眩んで倒れてしまいました。するとみなさんは、わたしがその蟇口を持っているからだと思ったのです。どうしてわたしをあの時、裸にしてみてくれなかったのでしょうか。
 それからのことは、だいたいお父さまもご存じのはずです。みなさんでわたしを責めはじめました。鈴木先生は悪い方ではないのですが、ご自分でとっていることを言いそびれてしまったものですから、どうかして隠そうとなさったに相違ありません。わたし、鈴木先生がとったのだと分かることが怖くて、わたしがとったことにしておいてもらいたかったのです。わたしはそれでも大して困りません。けれどももし鈴木先生と分かったら、世の中がどんなことになるか分かりません。
 鈴木先生の下宿へまいりましてから、鈴木先生とわたしとは毎日泣いて暮らしました。鈴木先生はいろいろの事情で、ご自分がとったことを白状することがおできにならないのですけど、そのために、わたしがとったと思われるのをかわいそうに思って、先生とわたしとは話もしないで毎日泣いて暮らしたのです。
 お父さま、それではお願いですから、鈴木先生がそれをとったということはだれにも話さないでください。そして、お父さまだけがわたしがとったのではないことを思っていてください。鈴木先生がとったことが分かれば大変なことになるのですけれど、わたしがとったことにしておけば、わたしは子供ですからそのまま何事もなく済むと思います。どうぞお願いします。
 わたしはこれから地下のお母さまの
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