に的確に、吉川訓導の近々に挙げられる結婚が証明してくれることをわたしは信じております。と申しますのは、吉川訓導はわたしがそのポケットを探ることを知っていて、自分の蟇口がなくなったという穽《わな》を構えて、わたしをその無実の罪に陥れ、自分からわたしというものを有無を言わせずに引き裂こうとしたのでございました。
 高津先生。こうして、彼の卑劣な虚構が純情|無垢《むく》の千葉房枝を殺してしまいました。わたしはこれから、気の毒なかの少女を慰めるべく、彼女の後を追ってまいります。どうぞわたしに代わり、吉川訓導の卑屈な不道徳極まる行為を責められ、哀れな少女千葉房枝の名誉を世の中の人々にお告げくださいますようお願いいたします。
 わたしのこの遺書と、千葉房枝が彼女の父親に宛てた遺書とを卑劣な吉川訓導の目に晒《さら》して、彼の卑屈にも不道徳極まる精神を刺激し、神聖な教育界から彼のごとき人間を除き、純情無垢の児童の将来と幸福とを誤りませんよう、お別れに当たりくれぐれもお願いいたしておきます。

 鈴木女教員が高津校長に宛てた遺書には、だいたいこういう意味のことが書かれていた。

       9

 鈴木女教員の葬式のあった晩、吉川訓導は高津校長の自宅へ呼ばれていった。
「吉川くん、ほかじゃないが、千葉房枝の自殺と鈴木女教員の自殺についてのことだ。しかし、ぼくの口からはなにも言いたくない。まあ、これを読んでくれれば分かる」
 高津校長はこう言って、吉川訓導に鈴木女教員が自分に宛てた遺書を読ませた。
 読んでいくうちに、吉川訓導の顔色はだんだんと変わっていった。その手が小刻みに顫えた。彼は唇を噛んでそれを読みつづけた。
「校長先生。いかにも卑劣なようですが、事実として、この鈴木女教員の遺書の中に一か所だけ、弁明しておかなければならないところがあります」
 彼は読み終わると、顫える声で言った。
「この蟇口のことですが、これは事実なくなったんで、決してわたしの意識的にやった卑劣な手段じゃないんです。意識的にこういうことをやるくらいなら、わたしから結婚のことを言ってやるはずはありませんから……」
「しかしだね、それはきみの言うとおりとして、学校としての責任をどうするんだね」
「わたしと鈴木女教員の恋愛、つまり自分たちがポケットの中で手紙を交換したことは、発表していただいても仕方がありません。二人の自殺がそこにあるのですから。そしてわたしは、責任上教育界から身を退《ひ》くつもりです」
 校長はそのことについて、なにも言わなかった。吉川訓導が教育界から身を退くということを止めもしなかった。そして、その事件の内容の一部が発表されたに過ぎなかった。
 それから一か月ほどして、鈴木女教員が言ったとおりに吉川訓導は結婚式を挙げたが、その時は彼は小学校の教師ではなく、ある山里の豪農の若主人だった。結婚の予定を決して変更しなかったのは、自分の卑劣を覆い隠そうとしているのだと思われたくないがためだった。鈴木女教員の遺書の事実は肯定し、無実として否定すべきところを否定したと思われたいという気持ちから、無理にも予定どおりに鈴木女教員の言ったとおりにしたのだった。
 鈴木女教員の代わりの教員が来、吉川訓導の代わりの師範学校出の先生が来て、丘の中腹の学校は元どおりの、内に波瀾《はらん》を孕《はら》んだ表面の平和を続けていった。
 運動場が雪にうずめられ、教室の中の火鉢のほとりでおりおり、生徒たちの間に鈴木女教員と千葉房枝のことが話されたりした。
 雪が消えて畑の土が温かくなってくると、高等科の生徒はまた農業の実習に引き出された。堆肥で馬鈴薯《ばれいしょ》を植え付けようというのだった。
 高津校長がそれを教えていた。
「先生、この堆肥の中に蟇口がありました」
 生徒の一人が、高津校長のところへその蟇口を持っていった。
 もはや生徒らは、去年の秋のあの事件を忘れているのだった。
「うむ、どれ」
 校長は怪訝そうに眉《まゆ》を寄せてそれを受け取った。
 その蟇口の革は鋭い歯で噛まれたらしく、ぐしゃぐしゃに傷んでいた。中には五円札が一枚、一円札二枚、それから銀貨や銅貨を取り混ぜて約八円ばかりの金が入っていた。が、その札はぐしゃぐしゃと何かに噛まれたに相違なく、ほとんど穴だらけになっていた。
 そして一枚、同じように歯の跡のついた本屋の受取りが入っていたが、それには、
『吉川先生さま』
 と書いてあった。
「あ、これは吉川先生の蟇口だ。堆肥を作るときもっとよく切り返していれば、あの時すぐ見つかったのに……道理で悪い堆肥だと思ったら、そんな乱暴な切り返しをしているから。……堆肥というやつは切るときに、こういうものが入っていてもすぐ見つかるくらいに切り返さなければいけないんだよ」
 高津校長
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