やっても、「気が向いたら描いてやるじゃ。」と言うばかりで、決して描いてくれなかった。
「お前さんには、一生描いてやる気になれんかも知れんが、他の人になら、向くこともあるじゃ。」と老人は言った。
すると焼和尚は、厭な厭な、雇い人からやり込められた主人のように、むっとしてしまって、すっかり黙りこくってしまうのである。おそらく、食客のくせにとでも思ったのだろう。だが再度生老人は平気だった。
和尚はたびたび私の家に風呂に這入《はい》りに来たが、再度生老人は、一度父が綿入れをやった時来たきり、もうやって来なかった。和尚は来るたびごとに、再度生老人のことを悪く言った。
「あの爺《じじい》は、再度生老人だなんて、名ばかり偉くて、何もろくなものは描けねえようでがすな。どこから頼まれでも、俺が頼んでも、さっぱり描きいんからな。気が向かねえ、気が向かねえって描きいんでがすからな。」
「そんなごどもがすめえぞ。あの爺様《じんつぁま》は、――金のことを考えたのでは、ろく[#「ろく」に傍点]な絵は描けねえ。貧乏は苦にならねえ。いいものを描きたいのじゃ――って言ってしたがらね。」
私の父は言った。
「なあに、ろくなもの描けるもんでがすか。あの爺は、怠けものでがす。気が向きそうもがいんな。なあに、今に、追っ払ってやりますべは……」
和尚は、癪《しゃく》に障るらしい口吻《くちぶり》をもらした。
和尚の話によると、和尚は絶えず描くことをすすめているらしかったが、再度生老人は、まるで和尚の言うことなどは問題にしなかった。貧乏したって、寒くたって、煙草が吸えなくたって、俺の勝手じゃないかと老人は言っていたそうだった。
「煙草が吸いたくって、吸いたくって、我慢が出来なくなったら、そうしたら、煙草銭を稼ぐ積もりで描くかも知れねえ。しかし、さあ達磨《だるま》を描け、花鳥を描け、虎を描けと、居催促《いざいそく》をされるんじゃ、わしは、いよいよ食えなくなっても書かんのじゃ。わしは、気が向いた時に、気の向いたものを描く。」と言ったこともあるそうだ。
私は、どうしても、天神様の絵は描いてもらえないものと思った。
その日は雪が降っていた。
私は学校から帰って来ると、母から、再度生老人が置いて行ったのだと言って、新聞紙に包んだ巻き物を渡された。
私は小躍りするようにして、顫える手先で静かに展《ひら》いて見た。
それは、梅の木の下に立っている菅公の像であった。梅の花の下で、私を凝視《みつ》めているように私には思われた。その真面目な、むっとした顔は、此方《こっち》の心を見すかしているようで、悪い考えを抱いたり、怠けたりすることは、出来ないような気がした。
私は早速、自分の室の、本箱の上の壁に、飯粒で貼りつけた。そして、仏壇から小さな蝋燭《ろうそく》を持って来て、お燈明を焚いて上げた。
その晩、貼り紙おば[#「おば」に傍点]が眇の息子を連れて湯に這入りに来た。
「あのね、そら、寺にいた再度生爺様はね、どこがさ行ってしまえしたでは。……」
ちょっとの間も黙っていられない貼り紙おば[#「おば」に傍点]は語り出した。
「どうしてしゃ?」と私の父が訊いた。
「なうにね、和尚が、やきもち[#「やきもち」に傍点]を焼いででがす。私ね、あの爺様の洗濯をしてやったら、和尚が、そんなごどをするなって、叫び立てたりしてね……」と貼り紙おば[#「おば」に傍点]は饒舌《しゃべ》り立てた。
なんでも、和尚が貼り紙おば[#「おば」に傍点]のことを悪く言うと、再度生老人が、お前さんはそんなことぐらい許してやれ。お前さんは始終他の女といいことをしてるじゃないか、と言ったのが始まりで、とうとう喧嘩をして、寺を追い出されたと言うのであった。
私は、再度生老人からもらった天神様の画像に、毎朝お燈明をあげて、お辞儀をしてから学校へ出掛けた。そして、あの爺さんはどうしたろうと、再度生老人のことを思い出さないことはなかった。
或る日のこと、だしぬけに再度生老人がやって来た。
その時、私と母とは、火を焚いてあたっていたが、私は、再度生老人は寺を追い出されて、どこへ行っても泊まるところがなくて、私の家に泊まりに来たのだなと思った。で私は、母に、可哀想な老人を、どうぞ泊めてやってくれと頼んだ。
だが再度生老人は、私の家に這入って来るとすぐに、「あの、この間お前さんに描いてやった菅公の絵を、ちょっと貸してくれ。そら、天神様の絵じゃ。」と言った。
私は呆気《あっけ》に取られた。きっと取り返されるのかも知れないと思った。それでも、仕方がないので、壁から剥《は》がして来て彼に渡した。
「近頃あるところで、天神様の絵を見たが、どうもわしの描いた天神様は、髯《ひげ》が気に入らんのでの。」と言って、再度生老人は、暫くの間、天神様の絵を眺めていた。
「爺様は、今、どこにいるのじゃ。」と私の母は訊いた。そして、お茶を出したり、茶菓子に乾し柿を出したりした。
「わしは、今、町の寺に泊まっているじゃ。大変親切な和尚さんで、いつまでも泊まっていろと言うから、生きているうちに、何かいいものを描きたいと思っているのじゃ。一枚、鍾馗《しょうき》を描いてやったら、大変喜んでいたがの。――ちょっと、硯《すずり》を貸してくれ。」と再度生老人は言った。
私が硯を持って来ると、再度生老人は、墨を磨《す》りながら、また暫くの間、天神様の絵を眺めていたが、ふところから、新聞紙に包んで来た筆を出して、天神様の髯をほんのちょっとだけ直した。そして、またしばらくの間見続けて、またちょっと筆を入れて、私に渡しながら呟《つぶや》いた。
「これでいい。わしもこれで、死んだところで、別にもう心残りはないわけじゃ。」
再度生老人は、微笑みながら茶を啜《すす》った。
私は再度生老人が、何のために来たかがわかった。私は子供心に彼を尊敬せずにはいられなかった。
その後、父は、その天神様の絵を表具屋にやって、表装してくれた。そして、その絵は今でも私の郷里の家に残っている。私は、帰郷のたびごとに、再度生老人を懐しく思い出すのであるが、その菅公の像というのは、今になって見ると、中学生の図画と選ぶところがないほど、ひどく下手なものである。私は、いつもこの絵を見るたびにあの哀れな老人の上に微笑を洩らさずにはいられない。
[#地から2字上げ]――昭和三年(一九二八年)『宇宙』九月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版
初出:「宇宙」
1928(昭和3)年9月号
入力:田中敬三
校正:小林繁雄
2007年7月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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