が、みんな不思議そうな、訝《いぶ》かる眼で、どこからか風に吹きとばされて来たように、突然私達の側《そば》へ寄って来たこの上品な容貌の老人を見た。
「この寺には、和尚さんはいるのかな。」
 老人は私に訊いた。眼が怖ろしいほどぎらぎらと光っていた。
「おります。」
 こう言って、私はおそるおそる老人の顔を見た。老人は、何か長い丸いものを風呂敷に包んで、鉄砲を担《にな》ったような具合に、細い紐で背負っていた。
 他の子供達が、私の側へ駈け寄って来た。老人は、ちょっと首を曲げたようであったが、すぐに庫裡《くり》の方へと立ち去った。私達はその後から、ぞろぞろとついて行った。
「お頼《たの》ん申す。」
 老人はこう言って庫裡の入り口を開けた。この、「お頼ん申す」という言葉は、私達にとっては、非常に珍しいものであった。おそらく私達には、初耳であった。講談かお伽噺《とぎばなし》に出て来る人でなければ、この辺では、そういう言葉を使う人はなかった。
 焼和尚は、入り口の茶の間で、長い煙管《きせる》で煙草を燻《くゆ》らしながら手を焙《あぶ》っていた。
「御迷惑じゃろうが、泊《と》めてもらえますまいかな?」と、老人は入り口から言った。
「そうだね……」と焼和尚は少し考えるような風をして、「一体、あんたは、商売はなんだ。」と訊いた。
「わしは、商売というものが無いから、こうして困っているのじゃが……わしは、その画家《えかき》なんでな。泊めてもらえないかな?」
「ようがす。泊まんなさい。」
 私達はこうして、その老人が寺に泊めてもらうのを見て帰った。そして、私達はその帰り途に、「あの人は、画家だぞ。あの人は画家だぜ。」と、何か不思議なものを見たように、囁《ささや》きあった。
 それから五六日過ぎたある晩のこと、その画家は、私の家へ湯に這入《はい》りに来た。その晩は、和尚は来なかった。
 既に村の人達は、みんなその老人のことを知っていた。「再度生《にとせ》老人」という、彼の雅号まで知っていた。だから私の家でも、再度生老人が、一人で湯に這入りに来ても、別に不思議がりもしなかった。
 再度生老人はその晩も、大変寒いのに、袷一枚にシャツ一枚着ているきりであった。そして、寒いのでするのか、それとも、虱《しらみ》が湧いているのか、絶えず身体《からだ》と着物とをこすり合わせるようなことをしたり、着物の上から撫でたりした。
「爺様《じんつぁま》。寒くねえんですか?」
 私の父は、彼が湯から出て、また炉傍《ろばた》に座って身体を揺り始めた時、やさしいいたわるような声色《こわいろ》で訊いた。
「寒い。寒いが、着物がないから仕方がない。」
 再度生老人は、笑いもせずに、真面目《まじめ》な顔で言った。
「そんでも、襖《ふすま》の絵でも描《か》いたら、着物の一枚や二枚は、すぐ出来るだろうがね。」
「それはそうだ。けれども、そんなことを思っていては、ろくな絵はかけんからのお!」
 言いながら再度生老人は、白い煙のような頤髯《あごひげ》を撫でた。
 私は、そんなことを思うと、どうしてろく[#「ろく」に傍点]な[#「どうしてろく[#「ろく」に傍点]な」は底本では「どうしてろ[#「てろ」に傍点]くな」]絵が描けないのだろうと思った。そんなはずは無いようにも思ったが、この老人の言うことに、間違いは無いようにも思われた。
「わしに、煙草を御馳走してくれるかな。」
 再度生老人は、私の父に言った。
「さあ。どうぞ、どっさり……」
 父は煙管《きせる》を拭いて彼に渡した。
「わしは、煙草を買う金もないほど貧乏しているのじゃ。しかし、それは苦にならん。わしは、立派な絵を残せればいいのじゃ。あの和尚のような生活は、わしは厭《いや》じゃ。」
 彼は、ぱふりぱふりと煙草を燻《くゆ》らしながら、和尚の生活の淫《みだ》らなことや、吝《けち》で、彼には卵を食わせないこと、煙草も買ってくれないことなどを話した。彼の吐く煙が、彼の白い髯と一緒になって蟠《わだか》まる。
「あの和尚は、わしに、しきりに絵を描かせようとする。絵を描いてくれれば、卵も食わせるし、煙草も吸わせるというような素振《そぶ》りを見せる。だがわしは、そんなことをされると、かえって描かん。あんな色魔《しきま》のような坊主に、自分の描いたものをやりたくない。わしはそういう性分じゃ。」
 彼は、私達にはわざとらしいように思われる口調《くちょう》で言った。
 しばらくしてから、私は、「俺さ、天神様の絵を描いて呉《け》いんか。」と頼んだ。
「天神様の絵とな。どうするのじゃ。」
 父が傍《そば》から、私に代わって、私が信仰深い子供で、床の間に天神様の絵をかけて、朝晩それにお燈明《とうみょう》を焚《た》いて、お参りしたがっていることを話した。
「それはいいこと
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