再度生老人
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)焼和尚《やけおしょう》という

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)赤くてかてか[#「てかてか」に傍点]と
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 私が十一の頃、私の家の近所の寺に、焼和尚《やけおしょう》という渾名《あだな》のお坊さんが住んでいた。私はこれから、この話を、その焼和尚のことから始めようと思う。……
 焼和尚は坊さんのくせに、大変女が好きだった。そして、彼の前身を知っている人の話によると、彼は、若い時分には盛んに発展し、やたらと女を買ったものだということだった。彼の頭が、薬罐《やかん》のように、赤くてかてか[#「てかてか」に傍点]と禿げているのも、実は焼傷《やけど》の跡ではなくて、その頃に引き受けた悪い病気の名残りなそうである。それでも焼和尚は、私達には焼けてこうなったのだと言ってきかせるのだった。
 焼和尚は、一人で住んでいた。細君と、めっかち[#「めっかち」に傍点](眇)の息子とがあったが、この二人は半里ほどはなれた町に住ませて置いて、自分一人植木を弄《いじ》ったり、軸物の観賞したり、彫りものを眺めたり、まるで退屈で困る顔をしているので、或る女――寺に虞美人草《ぐびじんそう》の種子を蒔《ま》くと檀家《だんか》に死人が絶えないという伝説を信じている女――などは、「あの焼和尚め、誰か死ねばいいと思って、虞美人草の花を植えやがったから」と言って憤慨していた。
 併し彼は、決して死人の出るのを望んでいるのではなく、女の出来るのを望んでいたのだ。一つは自分が好きだからでもあろうが、その頃、村の小学校には、虞美人草の花を好きな女教員がいたから……。
 町からは折々彼の細君と眇《すがめ》の息子とがやって来て泊まって行った。細君というのは、ちいさな、乾枯《ひか》らびた大根のような感じのする女で、顔中に小さな皺《しわ》がいっぱいあった。そして右の頬には、年が年中、丸い一銭銅貨大の紙が貼ってあった。で彼女は、貼り紙おば[#「おば」に傍点]と渾名《あだな》されていた。――「おば」とは、寺の細君、また大黒との意。
 貼り紙おば[#「おば」に傍点]は、寺に泊まっている間、毎晩のように、私の家まで湯に這入《はい》りに来たが、彼女は、一晩中べちゃべちゃと一人で饒舌《しゃべ》っていた。話題は大抵、和尚の浮気で、やれどこの細君と関係しているとか、やれ小学校の女教員に、いくらいくらする掛け物をやったとか、一晩中そんな類の話を、幾晩も幾晩も繰り返していた。
 私達には、貼り紙おば[#「おば」に傍点]の頬の丸い貼り紙が、珍しくもあり不思議でもあった。そして私達まで、彼女を真似て、丸い紙を頬に貼り付けたものだが、私は或る晩、彼女が風呂から出て来た時、彼女の頬に、穴があいているのを見つけた。
 彼女は、また、ふところから、ただの半紙を出して、爪で丸く切って頬に貼った。私には、今度は、その穴が不思議になった。女が、戦争に行って、鉄砲でうたれたのでもあるまいのに?…
「お父つあん。あのおば[#「おば」に傍点]さまの、頬《ほっぺた》の穴は、なにしたのだべ?」
 私は彼女の帰った後で、父に訊いた。
「あれか? あれはな、あのおば[#「おば」に傍点]さまは、黙っていられねえ性分だとや。そいつを、いつだか、黙ってねけなんねえごとがあって、饒舌《しゃべ》ったくって饒舌ったくってなんねえのを、耐《これ》えてこれえていだら、話がたまって、頬《ほっぺた》が打裂《ぶっちあ》けてしまったのだとや。」
 みんなは笑った。私も父が私を調戯《からか》ったことだけは判ったが、貼り紙おば[#「おば」に傍点]が、焼和尚から引き受けた梅毒のために、そうなったことを知ったのは、それから暫くの後のことだ。
 焼和尚は、女を好きなばかりでなく、絵画や彫刻や陶器類が好きで、彫り物師とか画家とかいえば、どんな身窄《みすぼ》らしい姿をした、乞食のような漂泊《さすらい》の者でも、きっと、幾日でも泊めてやったものだ。そしてその代償として、彫刻師には彫刻をしてもらい、画家には絵を描いてもらったのである。
 或る晩秋の夕暮れに、一人の年寄りが、寺を頼寄《たよ》って来た。
 その日は、ひどく冷たい北風が吹き荒《すさ》んで、公孫樹《いちょう》の落ち葉や欅《けやき》の落ち葉が、雀の群れかなんぞのように、高く高く吹き上げられていた。それなのに老人は、汚れた縞の袷《あわせ》から、垢染みたシャツの袖を覗《のぞ》かせて、寒さに顫《ふる》えていた。そしてその老人は、お伽噺《おとぎばなし》の中にでも出て来る老人のように、長い白い頤髯《あごひげ》を持っていた。頭はつるつるに禿げあがっていた。
 私達は五六人で、本の頁にはさむ公孫樹の葉を拾っていたのだ
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