じゃ。気が向いたら描いてやる。」と老人は言った。
父は母に言いつけて、綿入れの古いのを一枚出さして彼にやった。老人は悦んで、初めて微笑を浮かべたようであった。
「それでは頂くとする。わしは、もう一度生まれて来るのじゃ。それだから、再度生《にとせ》、再び生まれるという名を使っているのじゃ。今度生まれて来たら、おまえさん方へ、この恩は返す。絵もその時には、もっといいのを描く。」
老人は呟くように言いながら、立ち上がって帯を解いた。
老人は褌《ふんどし》をしていなかった。白毛を冠った睾丸がぶらぶらとさがった。私はおかしくなって笑った。父と母とは、私の笑うのがおかしいように見せかけて笑った。
「何もおかしいことはないのじゃ。睾丸は誰にもあるのじゃからの。」と老人は言った。
母は奥から、新しい晒《さら》し木綿《もめん》を持って来て、再度生《にとせ》老人に渡した。老人は、綿入れと褌とで、すっかり温かくなったと言って、欣《よろこ》んで帰って行った。
私はそれからもたびたび寺へ遊びに行った。そして、そのたびに、自分の家から卵を盗んで行ったり、自分の小遣い銭で「バット」を買って行ったりして、それを再度生老人への贈り物とした。
和尚と再度生老人とは、いつも小さな囲炉裏の、向こう側とこちら側とに対座して、絶えず睨《にら》みあっていた。和尚はぱふりぱふりと煙草を燻らしながら黙りこくっていた。老人はこちら側に、煙草などは見たくもないというような顔をして、何かを深く考え込んでいた。
それでも再度生老人は、私がそっと、和尚が便所へでも立った後にふところから「バット」を出してやると、和尚の前で、これ見よがしに燻らした。また卵をやると、老人はさっさと台所から小鍋を持って来て、和尚の前で、一人でうで[#「うで」に傍点]て食った。二つやっても、和尚にはやらずに御飯の時に食うのだと言って取っておいてまでも、決して和尚にはやらなかった。
「早く天神様を描いてけいんか。」と私は、幾度も寺へ遊びに行くたびごとに繰り返すのだった。
「あ、描いてやる。そのうち、気が向いたら描いてやる。」と再度生老人は言った。
「駄目なんだ。この爺様《じんつぁま》は、生きたうち気が向かねんだから……」と傍から和尚が言った。
私は、本当にそうかも知れないと思った。幾度「バット」を買って来てやっても、幾度卵を盗んで来て
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