。鉄板製の煙突の代りに、赤い煉瓦造りの大煙突が、遠くの遠くから敵視の目標となった。黒煙は煙突から直かに雲に続いた。そして煤煙の被害は遠方の部落にまで及んで行った。煉瓦を積んだ荷馬車が、何台も何台も、工事中の仮駅へ向けて行列をつくった。道路には幾本もの深い轍《わだち》が立って、九年の間、苗代のような泥濘が続いた。最良質の田圃は片端から掘荒されて行った。質のいい米を結ぶ田圃の底からでなければ最上質の煉瓦は出来ないからだった。併し、耕地が減って行くのに、其処から投げ出された小作人達は、代りの職業が容易に見つからなかった。むしろ、絶対に! だった。第一期当時にあった煉瓦場の方の仕事「ぺたぺた敲き」や煉瓦運搬の駄賃や縄綯いなどは以前からの熟練した人々の手で沢山だったからである。そのために北海道の開墾地へ移住した者があった。部落の東北部を起伏しながら走っている丘の中腹に歯噛みつき、其処に桑園を拓いて、これまで副業にしていた養蚕を純然たる生業にした数家族があった。
 第三期は、第二期九箇年の後に、一箇年を置いて始められた。
 第一期第二期は何れも鉄道敷設の工事材料を目的に焼いたのだった。だから工事の完成と同時に竈は閉された。併し第三期の今度は、投資の目的で始めたのだった。同じような煉瓦造りの大煙突が三本になった。第一期第二期当時に完成された鉄道が、容易に運び去ってくれると云う点から、最早その土地の鉄道工事と云うような供給の対照を考慮に入れる必要は無かった。全国が供給の対照であった。粘土質の土地を手放す者さえあれば、何時まで続くかわからない事業だった。

       二

 地主の森山は鶏小屋から戻って来たところだった。そこへ権四郎爺が這入って来た。森山は縁側に座蒲団を出さして其処へ掛けさせた。今までに何度も持って来た権四郎爺の用件には、彼はどうしても応ずる気が無かったし、鶏小屋の方に残してある仕事が気になるので、早く帰って貰おうと思ったから。
「どうでがすね? 今年の雛鶏《ひよっこ》の成績《しいしき》は?……」
 権四郎爺は※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》の話を持出した。先ず森山の機嫌を取って置く必要があったからだ。
「鶏《とり》にかけちゃ、この界隈にゃ、且那に及ぶ者はねえってごったから……」
「雛鶏だってなんだって、斯う松埃をぶっかけられちゃね。今年は、
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