欲しくなるかも知れねえですからね。それでですね。今は、あの半分だけ借りて置いて、一応は伜と相談してから売り切りにしたいんですがね。」
嘉三郎は髭《ひげ》を捻《ひね》りながら言った。
「そりゃあ承知です。半分でなくたって、元金に利子せえ添えて下さりゃあ、私あいつでも返しますよ。それなら相談するまでもありますめえで。」
「それなら伜になど相談しねえんでいいんですがね。併し、沢山借りるのも気になりますから、それじゃあ、百円だけ……」
「百円。百円でいいかね。」
「売り切りじゃねえですよ。」
「承知です。」
頭をさげるようにしながら米問屋の主人は店の方へ立って行った。
「伜を一人、東京へ勉強に出して置くと、金がかかりますでね。私もそのためにあ、先祖から伝わっている刀まで手放さねえなんねえんでね。今はこうして半分だけ借りて行っても、すぐ又はあ、伜から金が要《い》るって言って来れば、残りの半分を借りて、売り切りになるかも知れませんで。」
嘉三郎は髭を捻りながらそう米問屋の主人の背後に語りかけた。
「そりゃあ、東京へなど勉強に出して置いたら、随分とかかりましょうなあ。」
そんな風に言いながら、米問屋の主人は幾枚かの紙幣《さつ》を握って、すぐ戻って来た。そしてその紙幣を、嘉三郎の前へ置いて序《ついで》にその横から細長い包みを取った。嘉三郎は、自分の前に置かれた何枚かの紙幣を、数えても見ずに袂《たもと》の中へ押し込んだ。
「立派なものだなあ。」
鞘《さや》を払って刀身《とうしん》を凝《じ》っと眺めながら米問屋の主人は言った。
「何ぶんにも大業物《おおわざもの》ですからな。」
「嘉三郎さん! 今日中に送るのなら、早く行かないと、郵便局が閉まりますで。待っていなさるんだべが……」
「それさね。」
嘉三郎はそう言いながらも、悠長に立ち上がって、泥濘《ぬかるみ》の往来へ出たが、何故かもう、汽車で行く気にはなれなくなっていた。
四
高清水へ着いたときにはもう薄暗くなっていた。嘉三郎は、以前、商用で何度も来たことがあったが、詳しくは知らなかった。それに、素面《しらふ》で会うのも、何となく厭《いや》な気がした。嘉三郎は町外《まちはず》れの居酒屋に這入《はい》った。
「冷《つめ》てえのを茶碗でくんねえかね。」
嘉三郎はぽっそりと言った。同時に、二三人の客の眼が、嘉三郎の方へ一斉に集まって来た。嘉三郎は手で髭を隠すようにした。
「あの、高橋治平さんという人の家は、どの辺だね?」
嘉三郎は、そう酒を運んで来た茶屋女に、髭を隠すようにしながら訊いた。
「すぐこの先でがす。三軒、四軒、五軒、六軒目の家でがす。饂飩屋《うどんや》ですぐ判ります。」
「その家には、離室《はなれ》でも、別にあるのかね?」
「離室って、前に、馬車宿をしてたもんだから、そん時の待合所を奥さ引っ込んで、どうにか人が寝泊まり出来るように拵《こしら》えたのがあるにはあんのでがすけど、今のどころ、他所者《よそもの》の若夫婦が借りてるようでがす。」
「お! 一栗の嘉三郎|旦那《だんな》じゃねえかね?」
突然、そう誰かが、薄暗い土間から立ちあがった。
「私かね? 私は古川の者ですよ。古川の繭商人《まゆあきんど》ですよ。」
嘉三郎はぎょっとしながら、髭を隠して、声色《こわいろ》を使ってそう言った。
「併し、よく似た人だがなあ。」
印半纏《しるしばんてん》の土工風の男は首を傾《かし》げながら言った。
併し、嘉三郎は、そのまま何も言わずに、残っている冷酒《ひやざけ》を一息にあおると、忙《せわ》しく勘定をして、梅雨《ばいう》の暗い往来へ出て行った。
五
饂飩屋《うどんや》の横を、嘉三郎は、黙って奥へ這入《はい》って行った。庭に栗の木が一本あって、濡《ぬ》れ葉《ば》がばらばらと、顔に触れた。そして、栗の花の香《か》が鼻に泌《し》みた。
ちょうどそこへ、忠太郎がどこかへ出るのらしく、立て付けの悪い板戸を開けたので、薄い光が、幅広《はばひろ》い縞になつて流れ出して来た。
「忠太郎!」
嘉三郎はそう声をかけた。
「あれ! お父《とっ》さんだぞ。美津! お父さんが来た。起きろ。」
忠太郎は狼狽《ろうばい》しながら言った。
「美津の病気はどういう具合だ?」
嘉三郎はそう言いながら中へ這入った。
「お父さん!」
美津子は寝床の上へ起き上がって凝《じ》っと父親の顔を視詰《みつ》めた。
「寝てろ! お前が病気だっていうから来て見たのだが、病気は、どんな具合だ?起きてでいいのか?」
「風邪《かぜ》を少し引いて……」
横から忠太郎がそう言った。
「今時の風邪は永引くもんでなあ。それにしても、風邪ぐれえなら、安心だ。母親《かかあ》が心配してたぞ。」
「お父さん!」
美津
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