せ!」
嘉三郎は厳粛《げんしゅく》な調子で言って、固く唇を結んだ。
「着物をね? 忠太郎と一緒なら、行かねえで、構わねえで置いたらいいじゃねえかね。美津が好きで一緒になっているものなら。」
「投げて置けるか? 早く着物を出せ! 畜生共め!」
「好きで一緒になって、どうやら暮らしているのなら、構わねえで置けばいいものを……」
松代はそう独り言のように呟《つぶや》きながら着物を出して来た。
「暮らしがつかねえでるのだ。忠太は何も仕事がねえのに、美津は美津で、病気をして寝てるってんだ。畜生共め!いっそのこと死んでしめえばいいんだ。俺の顔さ泥を塗りやがって。」
嘉三郎はそう言ってもう一度そこへ坐った。
「そんなに困ってるどこさ、空手《からて》で行ったって、仕方があんめえがね。金を都合して行くとか……」
「なんで金など?」
嘉三郎は追い被《かぶ》せるように言って、またぐっと口を噤《つぐ》んだ。再び重い沈黙が割り込んで来た。そして嘉三郎は暫くしてから、松代をぐっと睨《にら》みつけるようにして言った。
「松! 兼元《かねもと》を出して来《こ》う。刀《かたな》をさ。」
「刀をね? 刀なんか何するんだね? お父さんは!」
「畜生どもめ! 叩き切ってやる。先祖の面を汚しやがって。」
「何を言うんだね? お父さんは! 狂人《きちがい》のようなことを言ったりして……」
「なんでもいいから早く出して来う。俺家《おらがうち》は、代々《だいだい》、駆落者《かけおちもの》なんか出したことのねえ家だ。犬共め!」
「それはそうかも知んねえが、代々、こんなに零落《おちぶ》れたこともあんめえから。」
「出して来ねえのか? そんなら自分で出して来るからいいで。貴様《きさま》まで精神《こころ》が腐りやがった。」
嘉三郎は叫ぶように言って座敷へ這入《はい》って行った。
「お父さんてば!」
松代は泣きそうにして嘉三郎の手に縋《すが》った。併し嘉三郎は、ぐんぐんと箪笥《たんす》の前へ寄って行って曳《ひ》き出《だ》しを開けた。同時に、どこから飛び出して来たのか、次女の嘉津子《かつこ》も父親の腕に縋った。
「お父さん! お父さんたら! お父さん!」
併し、嘉三郎は、左手に刀を握りながら、右手でぐっと、松代と嘉津子とを払い除けた。
「男のすることにあ、例えどんなことにもしろ、女どもが口出しをするもんじゃねえ。」
嘉三郎は二人を睨《にら》みつけるようにして言った。その眼はぎらぎらと涙で濡れていた。頬にまで涙は流れて来ていた。
「嘉津! お前もよく覚えて置けよ。」
父親の嘉三郎はそう言って出て行った。松代は、遣《や》る瀬《せ》なさそうに、嘉津子の頭を自分の胸へぐっと抱《かか》えた。嘉津子は母親の胸の中で静かに歔欷《すすりなき》を始めた。
「殺すようなことまでしねえよ。威《おど》すだけさ。お父さんの気持ちになれば無理のねえことだし……」
松代は漸くそれだけを言った。
三
暗くなるまでには四時間あまりもあった。高清水《たかしみず》は、歩いて行っても、三時間で行けるところだった。汽車もあるにはあるが、小牛田《こごた》で東北本線に乗り換え、瀬峯《せみね》まで行ってから軽便鉄道で築館《つきたて》まで行き、そから高清水まで歩くとなると、乗り換え時間の都合や何かで、三時間ぐらいで行けるかどうかわからなかった。それに、嘉三郎は、蟇口《がまぐち》をもたずに家を出て来てしまったのだ。併し、汽車のあるところを、てくてく歩いて行くなどということは、嘉三郎の気持ちの、どうしても許さないことだった。そればかりではなく、例えどこまでにもしろ、無一文で旅をするということは、嘉三郎にはどうしても出来なかった。
嘉三郎は、途中、しばらく躊躇《ちゅうちょ》してから、米問屋《こめどんや》に這入った。ちょうど折よく主人は家にいた。そして嘉三郎はすぐ茶の間へ通された。
「嘉三郎さん! それはいつかの兼元《かねもと》じゃねえかねえ?」
細長い風呂敷包みに眼をやりながら、米問屋の主人は、微笑《えみ》を含んで言った。
「兼元でがすよ。これだけは手放すめえと思ってたんでがすが、東京へ勉強に行っている伜《せがれ》から、金を送れって言って来たんで、とにかく、持って来たわけなんですがな。いつかの話を思い出して……」
嘉三郎は坐りながら挨拶代わりにそう言った。
「そりゃあ、もちろん、送って上げなくちゃなんねえね。私が売ってもらいますべえよ。いつか私が言った値でいいかね?」
「それがですね。私の気持ちでは、出来るなら、売り切りにしたくねえんでね。先祖から伝わってるもので、どうせ私から伜へ伝わって行くものだし、伜の学資のために売ったとなれば、伜も何も文句はねえと思うんですが、伜が成功でもしたとき、またそれが
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