った。深い天井からばらばらと落ち葉がして来た。風が出て来たのだ。
「うむ、うむ。だからやるのさ。一ぺんで、親父の仇《かたき》を取って、開墾場の人達みんなを助けて、その上自分の恨みを晴らせるのだもの……」
「あ、やってやるとも!」
雄吾はそう言って膝の上の猟銃を撫でた。
「その上、貴様、母親《おふくろ》とも一緒に暮らせるようになるじゃねえか。なあ、そうだろう?」
「あんな、人でなしの母親なんか、どうでもいい。」
「いや! しかしな、貴様からお母さんに話して、この開墾した土地を、我々の所有《もの》にしてもらわねえと困るからな。そこを頼むわけなのさ。」
「併し、世の中ってそう調子よく行くものかなあ。俺《おら》、やっつけたら、自分も死ぬ覚悟なのだ。」
「だからさ、馬車に乗っている者を撃っちゃ、熊だとは言われめえってことさ。いいか。そこをよく考えて見ねばならねえんだ。」
落ち葉がまたばらばらと散った。白い煙が横に漂《ただよ》うた。風が勢いを得て来たのだ。そして原始林の中には静かに夕闇が迫って来ていた。
*
開墾地にはその年も、そろそろ熊の出て来る初冬が近付いていた。
闇夜《やみよ》だった。まだ宵《よい》の口だ。開墾地に散在している移住者の、木造の小屋からは、皆一様に夜業《よなべ》の淡い灯火《あかり》の余光が洩れていた。十何年を経ても、彼等は最初の仮小屋の中に夜業を続けなければならなかった。十何年前に変わらない雨ざれた小屋は、壁板が割れて風が飛び込み雪が吹き込んだ。屋根は腐って雨が漏るのだった。併し彼等は、最初の夢を裏切られた未来の光のないところで、希望を持たない陰惨な生活を送らなければならないのだった。
原始林を背景にして散在した移住者の小屋から、事務所はやや離れたところにあった。納屋《なや》と馬小屋と、作男達の寝る建物とが、その横に黒く並んでいた。事務所からは明るい灯火《あかり》が洩れていた。間もなく札幌へ伴れて行かれる筈の、おきんが裁縫をしているのだった。
事務所の灯火が消えた。おきんも寝たのだ。
「熊だあ! 熊だあ!」
若い声が突然叫んだ。暗がりに人影が動いた。
「熊だあ! 馬小屋を気を付けろ!」
移住者の小屋から炬火《たいまつ》が出て来た。足音が乱れ合った。犬が吠え出した。
「熊だあ! 熊だあ!」
石油鑵が鳴り出した。板木《はんぎ》を敲《たた》く音。バケツを打ち鳴らす音。人々は叫び合った。
「熊だあ! 熊だあ!」
「事務所の方へ逃げたぞう!」
炬火《たいまつ》が四方八方から事務所へむけて駈け出した。黒い人影が続いた。犬が吠え合った。石油鑵が鳴り、板木が響き、バケツが鳴った。人々が叫び合った。開墾地一帯が揺るぎ吠えるのだった。
「熊だあ! 熊だあ!」
「熊だとう?」
炬火の薄明かりの中へ地主の藤沢が事務所から出て来た。鉄砲が鳴った。藤沢は唸《うな》って、蹌踉《よろ》めいて、ばたりと倒れた。
「おっ! こりゃ熊でなくて藤沢さんだで。」
佐平爺が、倒れて唸っている藤沢に近付きながら言った。
「善蔵、貴様誰かと駐在所へ行って来う。熊が出たので追い廻していたら、そこへひょっこり藤沢さんが出て来たので、熊だと思って間違って撃ってしまいましたってな。解《わか》ったか。熊と間違ってだぞ。そこの理由《わけ》をよく話すんだぞ。」
「誰が撃ったって訊かれたら?」
「あ、俺が撃ったって言ってくれ。」
雄吾は猟銃を杖にして傲然《ごうぜん》と言った。
「雄吾、貴様は札幌さ行って来ねえ気が? 俺が撃ったのだと言っておいてくれ。」
佐平はこう言って、雄吾から猟銃を奪《ひったく》った。二人の若者達は駐在所へ駈け出した。
「この悪熊も、とうとう為留《しとめ》られたな。」
「何を、馬鹿なことを。――おい、火を焚こうじゃねえか。」
炬火《たいまつ》が積み重ねられた。上から枯れ木が加えられた。焚き火は闇の中に高く焔先《ほさき》を上げた。人々は、がやがやとそのまわりを囲んだ。犬は遠くからいつまでも吠え止まなかった。
[#地から2字上げ]――昭和四年(一九二九年)『文章倶楽部』四月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:しず
1999年10月27日公開
2005年12月22日修正
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