のいい大葉柏が斑《まば》らに散在していた。そして原始林地帯がところどころに、荒れ野原へ岬《みさき》のように突入しているのだった。
彼等の原始的な生活が、そこに始められた。深林を背負って、彼等は南に向けて小屋の入り口を並べた。陽があがれば野原に出て男達は木の根を掘っくりかえし、女達は土塊《つちくれ》を打《ぶ》っ砕《くだ》き、陽《ひ》が沈めば小屋に帰って眠《ね》るのだった。そして、四五年の後から年賦で返済する条件で、少しばかりの米と味噌と塩とが地主から貸し付けられるだけで、その他の物はすべて自給自足だった。彼等は最初に蕎麦《そば》を蒔《ま》き黍《きび》などを作った。次に玉蜀黍《とうもろこし》、馬鈴薯、南瓜《かぼちゃ》を作り、小豆《あずき》、白黒二種の大豆、大麦、小麦と土地の成長に伴《つ》れて作物の種類を増して行った。併し、そうなるまでが大変だった。
「こうして腕の抜けるほど稼《かせ》いで、こんな馬の食うようなものを食って、着るものも着ずに乞食《こじき》のような身装《みなり》をして暮らすんなら、郷里《くに》の方にいたって、暮らせねえことも無かったべが……」
若い女達は、そう言い合って泣いた。
「何を言いやがるんだ。郷里で乞食が出来るかい? 乞食は大抵他国へ行ってするもんだぜ。我々だって、乞食する積もりでここさ来たんじゃねえか。土地をもらうんだぞ。よっぽどの襤褸《ぼろ》を着ねえじゃ、もらわれめえじゃねえか?」
佐平はこう言って、皆《みんな》を笑わせた。皆は、土地をもらうという言葉で元気になるのであったが、しかし、移住当時のまま一枚の着物すら作れないような自給自足の生活が三四年も続くと、彼女達の着物は雑巾《ぞうきん》よりもひどくなった。雪に閉じ籠《こ》められて働けない冬|籠《ご》もりの期間は、馬鈴薯と南瓜ばかり食っているために、春になると最早《もはや》、顔が果物のように黄色を帯びて来て、人間の肌色を失っているのだった。
「こんなにまでして稼いだら、郷里《くに》の方にいたって、一段歩や二段歩の土地なら、もらわなくたって、自分で買えたべがなあ。」
こう、男達さえ言うのだった。
「馬鹿なことばかり言って、貴様達は、買って自分のものにした土地と、こうして開墾して自分のものにする土地の、価値《ねうち》の区別を知らねえんだものな。買った土地ってものは、他人のものが自分のものになっただけじゃねえか? 開墾は、おめえ、開墾した分だけ世の中に土地が殖えるのだぞ。世の中の耕地を広くする仕事なんだぞ。開墾というもの……」
佐平の、こういう話は、皆をよく感心させたり笑わせたりした。わけても吾亮の妻、即ち雄吾の母は、佐平の、そういう話を欣ぶのだった。が、また、一番ひどく郷愁の念に悩まされているのも、雄吾の母だったのだ。佐平の考えでは、皆の淋しさを忘れさせ、郷愁の念から解こうとして嘘をつき、出鱈目《でたらめ》を言うのであったが、それが、いつか佐平を、開墾場一の嘘つきの名人ということにしてしまった。併し佐平は、依然として嘘をつくことをやめなかった。
全く、此方《こっち》からは、小さな駅のある村里へ、一カ月のうちに二度ほど、二三人の者が米と味噌と塩とを取りに行くだけで、先方《さき》からは郵便配達夫が二週間に一度の割でやって来るだけだった。巡査さえも廻っては来ないのだった。そして秋になると、原始林の中からのこのこと熊が出て来た。開墾地には大騒ぎが始まるのだった。彼等四十に近い家族のすべての者が熊に対《むか》って怒鳴り、叫び、闘うのだった。彼等の団結力が、この時ほど真剣に構成されて行動することはなかった。――そのほか、ほとんど外界との交渉のない原始林の中なのだ。嘘と出鱈目と恋とが無くては暮らせる世界ではなかったのだ。
*
三年の間というもの、彼等は滅茶苦茶に開墾地域を掘り捲くった。地主からの貸し付け食糧を補って、僅かに自分達の餓えを凌ぐのに足るだけの、蕎麦、馬鈴薯、南瓜などを作るだけで、それ以外の労働力はすべて開墾に注ぐのだった。完全にその土地を自分達の所有にしようとの努力だった。要するに処女地の皮を引《ひ》き剥《は》ごうとの三年間なのだった。
とにかく、そして一通りの開墾が済むと、初めて地主の藤沢がそこへ顔を出した。そして彼等の小屋の近くに木造の事務所を建てた。今まで札幌の方で待合兼料理屋というような稼業をして来ている藤沢は、自分の健康のために、夏から秋だけをここで暮らし、開墾場の収穫を売り付けてやったり、開墾場で必要なものは自分が代わって取り寄せてやるなど、移住開墾者達と都会人との間に立って、彼等の売買、或いは物々交換に、いろいろ面倒を見てやりたいというのだった。同時に、今まで貸し付けて来た食糧を、その開墾地からあがる穀類で返納してもらったり、自分もここで養鶏をしたり園芸をして夏から秋を暮らしたいというのだった。
その頃から、原始林の中を抜けて、村里の方から、折々は巡査も廻って来るようになった。ひどく毛虫を怖《こわ》がるという噂のある巡査だった。
或る真夏のことだった。開墾場の人々は、事務所の前から原始林を過ぎて村里へ通ずる路の、路普請《みちぶしん》だった。そして彼等の一団が、原始林の入り口のところで休んでいると、ちょうどそこへ、毛虫を怖がるという若い巡査が廻って来た。肌を脱いで煙草を燻《くゆ》らしながら語り合っていた彼等は、周章《あわて》気味にそそくさと着物に手を通し、無言で深く腰を屈《かが》めた。そしてそこへまた腰をおろした。
若い巡査は軽く頷《うなず》いて、微笑《ほほえ》みながら佐平の方へ歩み寄って行った。そして巡査は言った。
「あの、佐平って言うのは、おまえかい?」
「はい、私が佐平で御座りますが……」
佐平は起きあがって驚きの眼を巡査にむけた。ひくりと口尻を動かして微笑んだ。
「おまえは、この開墾場一の嘘つきの名人だという噂だが、僕の前で一つ、その名人振りをやってみせないかい? おまえの噂は、浦幌の方でも知らない者が無いぞ。おい、僕の前で一つその嘘をついて見ろよ。」
「どうして、旦那様、旦那様の前でだけは……」
佐平は口尻を歪《ゆが》めて眼で媚《こび》笑いをしながら言った。
「誰の前だっていいじゃないか? うむ、一つやってみろよ。その名人振りを……」
「私も、種々《いろいろ》の罪のねえ嘘はつきますが、併し、旦那様の前でだけは……他《ほか》の人なら、ともかくも……」
「構わんと言ったら、他の人につくのこそやめねばいかん。併し、僕の前で、どれだけうまくやるか、試みにやる分には構わん。」
皆は顔を見合わせて、油を搾《しぼ》られている佐平を静かに眺めた。
「どうぞ、旦那様、御免なすって……」
佐平は巡査の背後《うしろ》へと逃げた。巡査は微笑みながら煙草に火をつけた。
「ほおっ!」
突然、佐平が叫んだ。佐平は巡査の背後《うしろ》から一間ばかりも、大狼狽《おおあわて》に狼狽《あわて》て後《あと》に退去《しさ》った。顔は驚きの表情で緊張していた。皆が一斉に佐平の方を見た。佐平は眼をむいて巡査の背中に視線をやった。若い巡査は訝《いぶか》った。
「どうした? 佐平!」
「毛虫でがす! 大っきな!」
佐平は眼を釣りあげて口尻を曲《ま》げた。
「毛虫? どれ? どこだ?」
「旦那様の背中でがす。こんな、おっそろしい毛虫は、初めて見たな。なんて毛虫だべ?」
佐平は巡査の背中を視詰めながら、おそるおそる近寄って行った。
「なに、僕の背中に? 取ってくれ取ってくれ!」
若い巡査は、佐平の方へ背中を持って行った。
「こんな、怖《おっそ》ろしい毛虫、私は、おっかなくって、とても取られせん。服をお脱ぎなせえ。」
「そんなことを言わないで、早く取ってくれ、早く。」
「旦那様、服を脱がいん、服を……」
近くにいた誰かがその背後《うしろ》に廻ろうとしたが、巡査は狼狽《あわて》て制服を脱いだ。
「どこにや? うむ、佐平、何もいないじゃないか?」
若い巡査は、服の上の毛虫を見つけようとしながら言った。
「これが旦那様、私の、嘘の始まりぐらいのところで……」
皆は口から飛び出そうとする笑いを圧《お》し殺して、遠慮勝ちな微笑を投げ合った。巡査は真っ赤になった。「とうとうやられたなあ!」と笑って済ませるには、彼はあまりに若かった。あまりに融通性に乏しかった。
*
開墾地の耕作は容易でなかった。若い荒々しい土は、すぐにも以前に還ろうとするのだった。ただただ土地を、完全に自分達の所有《もの》にしてしまえばいいとの考えから、荒皮を引ん剥《む》いたばかりの畑は、他の方を耕しているうちに他の一方が熊笹や野茨や茅に埋められるという有様だった。彼等が、その草の中から刈り取る秋の収穫は、最初の一二年間というもの、彼等の食糧にかつかつだった。
併し地主の藤沢は、この開墾地の緩慢な成長が待ちきれなかった。彼は移住開墾者の代表格である岡本吾亮にまで自分の気持ちを伝えた。
「ね、岡本さん。開墾もこんで済んだのですし、そろそろ、あの食糧の方を戻してもらわれねえですかね。」
臆病な藤沢は、相談するような調子で、穏やかに言うのだった。
「冗談言っちゃ困りますよ。みんな食うや食わずで働いているじゃないですか。まあ、二三年は我慢してもらうんですね。」
岡本は強情で掛け引きというものを知らなかった。
「だがね、無利子同様の安利子で、いつまでも貸していたんじゃ、手前の方だって堪《たま》りませんからね。なんとか一つ早く……」
「今、そんなことを言ったら、藤沢さん、あなたは殺されるよ。あの人達は、今やっと息がつけるようになったばかりじゃないですか……最初の約束だって、開墾場から穀類があがるようになったらという話だったし……それは幾らかの収穫はあるがね、自分達が食うのにも足りないぐらいなのだから……」
「いや、それはね、何も今すぐ無理にいただくという話じゃねえですがね。」
藤沢は、岡本吾亮の不機嫌な顔に媚《こび》笑いをむけながらこう言って、その場を逃げたのだった。
併し、地主の藤沢は、なかなかそれだけでは諦《あきら》めきれなかった。その翌年、彼は吾亮に隠れるようにして移住開墾者の間を廻った。彼等は苦しい中から、幾分かずつを返済することにしたのだった。吾亮はそのことを後で聞いて、ひどく憤慨した。
「藤沢さん。そりゃあんまりじゃないかね? もう一二年の間、あなた、待てないこと無かったでしょう。一体、最初私になんと約束したんだ?」
吾亮は事務所へ出掛けて行って地主に詰め寄った。
「まあ岡本さん、穏やかに……私は決して無理にと言うのじやなくて、出来るならと、まあ話の序《ついで》に話したのが、うまく成功したようなわけで……ですから、今度のところは、どうぞまあ、穏やかに見|逃《の》がしておいて下さいな。」
こう言って地主は、吾亮の、鋭い詰問と憤激に燃える眼とから遁《のが》れてしまうのだった。
併し藤沢は、抑えている間は縮んでいる発条《ばね》のように、手を放すとすぐに原状《もと》に戻って、まもなくその時の恐怖感を忘れてしまうのだった。彼は貸した食糧が順調に戻って来るようになると、また別の話を岡本吾亮にまで持って来た。
「ね、岡本さん。この土地にも、そろそろ税金がかかるようになったんですがね。一つその、幾らでも一つその小作料を……」
話の途中で藤沢は吾亮の顔を見た。吾亮は何も言わずに、光る眼で藤沢の顔を視つめ続けた。そして吾亮は下唇を噛んだ。
「いや岡本さん、決して無理というのじゃないんですがね。なにしろその……」
「あなたは最初に、私へなんて約束したです?」
吾亮は太い錆《さび》のある声で叫ぶように言った。併し慾《よく》の深い人間にとって、新しい慾気を満たすためには、古い約束など全然問題ではないのだ。自尊心も道徳も愛情も、場合によっては自分の生命だって投げ出しかねないような人間なのだから。
「前の話は、前の話ですがね。併しその……」
「あなたは、道庁から
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