その土地を自分の所有に戻すことは出来なかった。借りた金は、利息に利息を生み、土地は小作料を持って行った。俄然として疲弊は農村を襲って来た。
 そこへ岡本吾亮が素晴らしい話を持って帰って来たのだった。――彼の知人が北海道に無代で提供してもいい百五十万坪という莫大な土地を持っているという話だった。併しそれは道庁から十年間のうちに開拓するという条件でもらったもので、既に二十家族からの人々が開墾しているが、なかなか開墾しきれないので、残りの三年の間に開墾してしまわなければ道庁から取り上げられてしまうのだ。がそれは惜しい。誰か開墾する者は無いだろうか? 自分は道庁から取り上げられたものとして提供するし、開墾中の食糧ぐらいは貸してもいい。それは開墾場から利益があがるようになってから年々少しずつ返してくれればいいと、そこの藤沢という地主が言っているとのことだった。そして吾亮は、食うものを作る人間が食えなくなったからとて、他の職業に就いたのでは、かえって食うものが少なくなるばかりだ。だから農村の失業者は、なるべく開墾地へ行って、自分で自分の食うものを作るべきだ。そういう意味で、自分は一人でも行くつもりだが、誰か一緒に行く者は無いだろうかと言うのだった。
 岡本のこの話は、新しい土地について耕作しなければならぬ村の人人の間に、非常な人気を呼んだ。彼への悪口は急に、讃辞へと一変した。
「あの人は、やっぱり、どこか偉いところがあるんだよ。俺も伴《つ》れて行ってもらえてえもんだ。」
 こうして、ここにも二十家族に近い移住開墾者群の一団が成立したのだった。
       *
 彼等が北海道に渡ったのは晩春の頃だった。高原地帯の原始林は既に、黝《くろず》んだ薄紫色の新芽に装《よそ》われていたが、野宿をするには、未だ寒かった。併し既に営まれている二十に近い開墾小屋は、とても他人を容れる余地を持たない、いずれも小さなものばかりだった。彼等は開墾場に近い深林《しんりん》の中に枯れ木を焚いて一夜を明かした。そして翌日から思い思いの小屋をかけたのだった。
 開墾地として選定されていた場所は、原始林に囲まれた処女地だった。幅三十町、長さ五十町ほどの荒れ野原《のっぱら》の一部分だった。萩と茅《かや》と野茨《のいばら》ばかりの枯《か》れ叢《くさ》の中に、寿命《じゅみょう》を尽くして枯れ朽ちた大木を混ぜて、発育
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