ただけじゃねえか? 開墾は、おめえ、開墾した分だけ世の中に土地が殖えるのだぞ。世の中の耕地を広くする仕事なんだぞ。開墾というもの……」
 佐平の、こういう話は、皆をよく感心させたり笑わせたりした。わけても吾亮の妻、即ち雄吾の母は、佐平の、そういう話を欣ぶのだった。が、また、一番ひどく郷愁の念に悩まされているのも、雄吾の母だったのだ。佐平の考えでは、皆の淋しさを忘れさせ、郷愁の念から解こうとして嘘をつき、出鱈目《でたらめ》を言うのであったが、それが、いつか佐平を、開墾場一の嘘つきの名人ということにしてしまった。併し佐平は、依然として嘘をつくことをやめなかった。
 全く、此方《こっち》からは、小さな駅のある村里へ、一カ月のうちに二度ほど、二三人の者が米と味噌と塩とを取りに行くだけで、先方《さき》からは郵便配達夫が二週間に一度の割でやって来るだけだった。巡査さえも廻っては来ないのだった。そして秋になると、原始林の中からのこのこと熊が出て来た。開墾地には大騒ぎが始まるのだった。彼等四十に近い家族のすべての者が熊に対《むか》って怒鳴り、叫び、闘うのだった。彼等の団結力が、この時ほど真剣に構成されて行動することはなかった。――そのほか、ほとんど外界との交渉のない原始林の中なのだ。嘘と出鱈目と恋とが無くては暮らせる世界ではなかったのだ。
       *
 三年の間というもの、彼等は滅茶苦茶に開墾地域を掘り捲くった。地主からの貸し付け食糧を補って、僅かに自分達の餓えを凌ぐのに足るだけの、蕎麦、馬鈴薯、南瓜などを作るだけで、それ以外の労働力はすべて開墾に注ぐのだった。完全にその土地を自分達の所有にしようとの努力だった。要するに処女地の皮を引《ひ》き剥《は》ごうとの三年間なのだった。
 とにかく、そして一通りの開墾が済むと、初めて地主の藤沢がそこへ顔を出した。そして彼等の小屋の近くに木造の事務所を建てた。今まで札幌の方で待合兼料理屋というような稼業をして来ている藤沢は、自分の健康のために、夏から秋だけをここで暮らし、開墾場の収穫を売り付けてやったり、開墾場で必要なものは自分が代わって取り寄せてやるなど、移住開墾者達と都会人との間に立って、彼等の売買、或いは物々交換に、いろいろ面倒を見てやりたいというのだった。同時に、今まで貸し付けて来た食糧を、その開墾地からあがる穀類で返納してもらっ
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