よそうかと思ったこともありましたが、煙草を燻かしていると奇妙なことにその煙の中へ売店に座っていた娘の顔が浮かんで来ますのでなあ。なんかこう、煙草という煙草には、その娘の匂いまでついているような気がしましたんでなあ。こうして煙草を燻かしていると、今でも私あ、その娘の顔が、煙の中へ見えて来ますんですよ。何しろ、その娘のために毎日毎日一年あまりも煙草を買いに通ったんですからなあ。」
「それはそれは……実を申しますと、あの頃その売店に座っていたのは、私でござんすよ。」
「ははあ! それさね。」
 爺さんは驚きの眼をみはって、婆さんの顔を、じっと視直《みなお》した。
「それさね。」
「これを覚えておいででしょうがね?」
 婆さんは爺さんの前に片手を出して見せた。その指には真鍮の指輪が鈍く光っていた。
「思い出しました。貴女《あなた》でしたか? その指輪は、私が、機関車のパイプを切ってこしらえた指輪でしたがなあ。」
「銅貨の中へ混ぜて、貴方《あなた》がこれを私にくれて、顔を赤くしながら逃げるようにして走って行ったのを、今でも覚えていますよ。私はそれから、この指輪を片時もこの指から脱いたことがござい
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