まる》のように、親を尋ねて漂泊《さまよ》う少年少女が、村から村へと越える杉杜《すぎもり》の中の、それも鬱蒼《うっそう》と茂った森林の中の、そして岸には葦《あし》が五六本ひょろひょろと生えていて、緑《あお》い藻などが浮き、鏡のように動かない古池に、ぽっつり夢のように浮いている睡蓮の花を見たら、きっと、泣き出したに相違ありません。哀《かな》しい少女の心には、睡蓮のあの可哀想な、淋しそうで悲しそうな、あの気持ちがあまりにもぴったりはいって来るからです。
       ○
 衰滅の美[#「衰滅の美」に傍点]――という言葉があります。私達は、屋島《やしま》の戦いに敗れた平家の話や、腺病質《せんびょうしつ》の弱々しい少女が荒い世の波風にもまれている話を聞くとき、その哀れな一種の美しさにうたれます。――それが衰滅の美[#「衰滅の美」に傍点]というのでしょう。睡蓮の花はどうかすると、この衰滅の美という言葉に、ぴったりすることがあります。あまりにも可憐な、弱々しい花だからです。
 昔の栄華《えいが》を語る古城のほとり、朽ちかけた天守閣には蔦《つた》かずらが絡《から》み、崩れかけた石垣にはいっぱい苔《こけ》が生え、そのお濠《ほり》に睡蓮の花が咲いていたら、私達は知らぬ間に、涙含《なみだぐ》ましい気持ちでいっぱいになっているに相違ありません。
       ○
 緑滴《みどりしたた》るころ、東京近郊では、井之頭《いのがしら》の池に、あの静かな、原始林のような森林に囲まれ、錆《さび》のついた鏡のような池の面《おもて》に、白い夢のように睡蓮の花が浮いています。そのまわりに、小さい水鳥が浮いたり沈んだりして遊んでいるのを見ることもあります。
[#地から2字上げ]――昭和六年(一九三一年)『新月』四、五、六月号――



底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
   1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:しず
1999年9月24日公開
2005年12月19日修正
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