っていた。さながら町の北側に立ち回した緑色の屏風《びょうぶ》だった。長い緑の土堤には晩春の陽光がいっぱいに当たっていた。その下は土を取った赭土《あかつち》の窪地。歳《とし》を取ったどすぐろい汚水、死に馬の眼のような水溜まりだった。水面には棒切れや藁屑《わらくず》が浮いていた。岸に幾株かの青い若葉の猫柳。叢《くさむら》の中からは折り折り蛙が飛び込んだ。鈍い水の音を立てて。
清新な暖かい気流、麗《うら》らかな陽光。静かに青波《あおなみ》を打つ麦畑。煤煙に汚れた赤|煉瓦《れんが》の建物が、重々しく麦畑の上に、雄牛のように横たわっていた。白い煙突からは黒い煙が渦《うず》を巻いて立ちのぼった。そしてだんだんと赤味を帯びながら悠長《ゆうちょう》にたな引くのだった。
彼等二人は青草の土堤に腰と背とを当て暖かな陽光にひたった。
「どうだ。あの煙は? この町は空気が悪いんだね」
貞吉と秋子とは視線を揃《そろ》えて工場の煙突から立ちのぼる黒煙に向けた。
「どうかして転地でもしなければいけないね。秋ちゃんの家《うち》から半分出してくれないかな。そしてどこか空気のいい海岸へでも転地していれば……」
「まだ結婚さえ許してくれないのですもの。それよりも、お父さんが私達の結婚を許して下さるといいと思うわ。そしたら、私、死んでもいいわ。私もうそれだけよ」
「馬鹿な。僕が困るじゃないか。近ごろ少し肥《ふと》ったじゃない? どれ手を……」
貞吉は秋子の手を自分の膝の上に取った。
「肥るわけないじゃないの」
汽笛が高らかに響き渡った。獣類の吼《ほ》えるように、唸《うな》るような余韻を引いて、そして機関車はもくもくと黒煙をあげながら麦畑の中を堤《つつみ》の上を突進して来た。
「あら! あの機関車は、お父さんが乗っているのよ」
秋子は堤草《どてくさ》に身体をすりつけるようにして小さくなり顔を伏せるのだった。貞吉はあわてて彼女の手を解《ほど》いた。直通列車が凄《すさ》まじい速力で囂々《ごうごう》と二人の頭の上を過ぎて行った。
「どうして判《わか》る?」
「だって、あの汽笛は、お父さんの鳴らす汽笛なんだもの、そりゃ直ぐ判るわ」
秋子は顔をあげて列車を見送った。
「汽笛で判るかい? ほんとに?」
「判るわ。よく判るわ。鳴らす人によってみんな違ってよ。お父さんの汽笛はああいう吼えるような唸ような長い音
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