こうして八百屋の店や果物屋の店頭を覗いて歩くのが好きだった。
そうして逍遙《さまよ》うた揚句《あげく》には、屹度《きっと》上野の停車場《ていしゃば》へやって行ったものであった。
停車場の待合室にはどこの停車場にも掛かっているような、全国の、国有鉄道の地図が掲《かか》げられていた。
その地図の下に立ってみすぼらしい身装《みなり》の青年が、その地図の上の距離を計ったり、凝《じ》っと凝視《みつめ》ていたりして、淋しい表情で帰って行くのを、私は幾度《いくど》見かけたか知れなかった。
私はそういう人々を、殆んど毎晩のように見かけた。なかには、眼を潤《うる》ませて帰る青年もあったし、ちかちかと睫毛《まつげ》を光らせて戻る少年もあった。
併し私は、そういう人々を、ただ単に、見たとばかり言い得ないような気がする。
その人々の姿こそ、当時の私の姿ではなかったろうか? 歩いてでも郷里にかえりたかった。当時の私の心ではなかったろうか?
或る夜のことであった。私は停車場で、偶然一人の友人と落ち合った。彼は非常に沈んでいたようであった。
「誰か送って来たの? それとも誰か来るの?」と私は訊《き》
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