いた。
「ううん。」
彼は神経質な眼をして頭を振った。
「君は?」と彼は訊いた。
「僕も、ただ散歩に。――ここへ来ると、田舎の言葉が聞けるもんだから……」
「僕もそうなんだよ。ただそれだけで、僕は小石川からわざわざ出掛けて来るんだよ。」
彼はこう言って、深い深い溜め息を一つついた。
私と彼とは、黙々として目を伏せて公園前の方へ歩いて行った。そうして歩きながら、彼は低声《バス》に、哀れっぽい調子をつけて歌ったのであった。
[#ここから2字下げ]
停車場《ていしゃば》の、地図に指あて故里《ふるさと》と
都の距離をはかり見るかな。
[#ここで字下げ終わり]
私も彼も、大望を抱いて東京へ出て来たのであった。故里を去る時には、その意志を貫かないうちは、石に噛りついても帰らないはずであった。
併し、私も彼も、もう……。
その月の末に、私は彼が郷里に帰ったということを聞いた。もう再び東京には出て来ないつもりだということをも聞いた。
併し、彼の意志の弱かったことを誰が嘲《わら》い得よう? 故郷を持っている人々、そして都会の無産者の生活を知っている人々は、誰も嘲うことは出来ないはずだ。
私はその後も、折々停車場へ出掛けて行った。その帰り途、私はきっと、あの時彼が歌ったあの歌を、低声《バス》で歌って見たものであった。
[#ここから2字下げ]
停車場の、地図に指あて故里と
都の距離をはかり見るかな。
[#ここで字下げ終わり]
この歌を私は幾度も繰り返した。繰り返しているうちに、私の歌はいつか、泣き声になっていた。そして、睫毛《まつげ》に涙のちかと光っているのを意識したものであった。
今では、もう停車場へ出掛けるようなことはなくなった。
けれども、夏が来て、八百屋の店頭に赤いトマトオが積みあげられ、水色のキャベツが並べられ、白い夏大根が飾られる頃になると、私は今でも、彼のあの歌を思い出すのである。
[#地から2字上げ]――大正十五年(一九二六年)『若草』十二月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版発行
初出:「若草」
1926(大正15)年12月号
入力:大野晋
校正:鈴木伸吾
1999年9月24日公開
2003年10月21日修正
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