に来ましたら、足下に黒いものがいますもの、熊だと思ってしまって……」
「分かった。それで、蔦代が前の日からいなかったというのはどういうわけかね?」
「それは……」
 正勝はひと足前のほうへ出た。
「蔦代はわたしの妹でして、ここに遺書がありますが、一昨日この屋敷から逃げ出したのでございますが、途中から連れ戻って帰ったのでございます。そして、連れ戻りましてからこの事件まで、どこかに隠れていて姿を見せなかったわけです」
「だいたいそれで分かった」
 巡査はそう言いながら、正勝の手から蔦代の遺書を受け取って、それにひととおり目を通した。
「これによると主人を恨んでいたようだから、連れ戻されたことを悲観して、恨みのある主人を殺して、自分も死んでしまおうと思ったのかもしれないなあ」
「連れ戻ったときに、父が酷《ひど》く叱《しか》ったのでございます。それから急に姿を隠してしまって……」
「しかし、恨んでいる者を殺して自分も死のうというときに、自分の犯行を発見されたからといってその人まで殺そうとしたのは少しおかしいなあ。あなたはその時、親の仇というようなことを思わなかったかな?」
 巡査は首を傾《かし
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