来たか? 婆や! お嬢さまの着物を持ってこう」
「えっ」
「何を婆やは魂消《たまげ》てるんだい? お嬢さまの着物を持ってきてあげろ。外套《がいとう》でもなんでもいい」
正勝が叫ぶように言うと、婆やはまた腰を引くようにして奥へ入っていった。ふたたび重苦しい沈黙が割り込んできた。ストーブの中に薪がぴんぴんと跳ねているだけだった。
正勝は、その重苦しい沈黙の空気の中に堪《こら》えていることができない気がした。正勝は沈黙を破るために言った。
「お嬢さま! なにも心配することなんかありませんよ」
正勝はストーブにぐっと手を翳《かざ》しながら言うのだった。
「蔦はおれの妹だげっとも、それとこれとは別問題だし、あなたの場合は立派に正当防衛というもんだから」
しかし、紀久子は黙りつづけていた。
そこへ、婆やが紀久子の外套を持って戻ってきた。
「お嬢さまの着物、どこにあるんだか、一人で奥へ行くのもいやだし……」
婆やがあたふたと土間へ下りてきながら言った。
「外套のほうがいい」
正勝が大声に言った。
「肩のところへ血がついているようだから、警察が来るまでやはりこの寝巻を着ていたほうがいいだ
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