ろに寄っていると思うもんですから」
「馬鹿《ばか》なっ! 逃げていったもんなんか捜しに行くことねえ! それより、正午《ひる》前にサラブレッド系の馬を全部捕まえておけ、買い手が来るのだから」
「…………」
 正勝はなにも言わずに上目遣いに喜平を見て、それからその目を紀久子のほうに移した。紀久子ははっと胸を衝かれた。憎悪! 怨恨《えんこん》! その目は爛々《らんらん》として憎悪と怨恨とに燃えていた。
「なんて目をしやがるんだ? たわけめ!」
 喜平は怒鳴りつけた。
「そんな目をしていねえで、早くあっちへ行け! そうして、すぐサラブレッド系の馬を三頭とも全部捕まえておけ! 買い手が来てから捕らえるなんて言ったって、そん時になってからじゃ容易なこっちゃねえから」
 正勝はもう一度、憎悪と怨恨とに燃える目を上げて、露台の上の父親と娘とをじっと睨《にら》むようにして見てから、静かにそこを離れていった。
「たわけめ!」
 葉巻の煙を空に向かって吐きながら、喜平はもう一度、正勝の後ろから怒鳴りつけた。
 項垂《うなだ》れて、静かにそこを歩み去っていく正勝の後姿はひどく寂しかった。

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