を含んで顔を赤らめながら、顔を伏せるようにして静かに正勝のほうへ寄っていった。開墾地の人々は驚きの目を瞠って、ただじっと紀久子の姿を見詰めた。
「金を持ってきてくれたかい?」
「持ってきたわ」
 紀久子はそう言って、正勝に小さな包みを渡した。正勝はすると、煙草《たばこ》を横銜《よこぐわ》えに銜えながらその包みを解いた。十円紙幣ばかりだった。
「稲吉さん! それじゃ百五十円」
 正勝はそう言って、無造作に百五十円を数えた。稲吉爺は幾度も幾度もお辞儀をして、地面を舐《な》めるほど腰を屈《かが》めながら正勝のほうへ寄っていった。初三郎爺や与三爺もお辞儀をしては腰を屈めながら、正勝のほうへ寄っていった。正勝は煙草でもくれるようにして、その金を渡した。
「初三郎爺さんと与三爺さんは、百円ずつだったね?」
「正勝さん! おれらは本当に、あなたさまを神さまのように思いますよ」
 彼らはそう言って、紙幣を押しいただいた。
「正勝さん! おれらにも少し貸してくだせえましよ。おれらこれ、貧乏で貧乏で……」
 喜代治らがそう言って、頭を下げながら正勝のほうへ寄っていった。正勝は黙って彼らを見た。それから、その目を紀久子のほうへ移した。
「紀久ちゃん! 残ってる分を、喜代治さんらに上げてもいいだろう?」
「正勝ちゃんのいいようにしたらいいわ」
 紀久子は顔を上げて、微笑を含みながら言った。
「それじゃ……」
 正勝はそう言って、残っている紙幣を五枚ずつ数えて、鼻紙でもやるようにして彼らに渡した。
「正勝さん! おれらは死んでもあなたのことは忘れませんよ」
「そんなことはまあいいから、飲もうじゃないか?」
「あなたがお嬢さまと一緒になって森谷さまの旦那さまになられたら、おれらは自分の生命《いのち》を投げ出してもあなたのためになるようなことをいたしますよ」
「飲もうじゃないか。紀久ちゃん! あんたも飲めよ」
 正勝はそう言って紀久子にも盃を渡した。紀久子は微笑を含んで素直に盃を取った。開墾地の人たちはまたじっと驚きの目でそれを見た。紀久子はぐびりと盃を干した。
「わたしもう、これで帰ってもいいでしょ?」
 紀久子は盃を置きながら言った。
「一緒に帰るから待てよ」
「平吾が外で待っているのよ」
「それじゃ、すぐ帰ろうか? 紀久ちゃん! いまここでみんなの踊りを見せてもらったんだがね。紀久ちゃんも踊って見せないか?」
「わたしの踊りなんか駄目だわ。それに着物がこれでは……」
「構わないさ。簡単でいいから、何か踊って見せてくれよ」
「できないんだけど……」
 紀久子は微笑を含んでそう言いながらも、手を振り足を上げながら静かに踊りだした。開墾地の人たちは何事も忘れて、呆気に取られてそれを眺めていた。彼らは夢を見るようにして、そこに展開された思いがけぬ空気に驚異と喜悦との目を瞠っているのだった。
「これでもういいでしょう?」
 紀久子は恥ずかしくてならないように、顔を真っ赤にして言った。
「ありがとう! それじゃ、帰ろうか?」
「帰りましょう。平吾を寒いところに待たしておいちゃ、かわいそうだから」
 正勝と紀久子とは揃《そろ》って席を立った。
「正勝さん! おれらは本当に、あなたさまを神さまのように思っているでがすよ」
「お嬢さま! あなたさまも、ぜひとも正勝さんと一緒になってくだせえましよ。おれらのお願いですから」
 開墾地の人たちはそんなことを言いながら、正勝と紀久子とを戸口へ送っていった。

       5

 開墾地の人たちは炉端へ戻ると、互いにその赤い顔を見合わせた。
「どうも、お嬢さまは少し気が変になっているようじゃねえかな?」
 喜代治が低声に言った。
「それさよ。いくらなんでも、森谷家のお嬢さまが正勝の手紙一本で大金を持って駆けつけてきたり……」
「酒を飲んで踊りを踊るなんて、気がどうかしていなけりゃ……」
「正勝さんが偉いからだよ。それで、正勝さんの言うことなら、お嬢さまはなんでも聞くのだよ」
 吾助爺がぼっそりと言った。
「しかし、正勝さんも少し気がどうかしているのじゃないかなあ。理由《わけ》もなく他人さ大金を分けてくれたりしてさ」
 与三爺が目を瞠りながら言った。
「気が変になったのじゃなくて、おれらを騙《だま》すつもりじゃねえのか? 金をくれておいて、何か問題でも起きたときにおれたちを味方にするとかなんとか……」
「そんなことはねえ。お嬢さまは自分の親御は殺されるし、自分は過って他人を殺したので、気が変になったのさ。正勝さんだって、妹があんなことになったんだから、やっぱり気が少しどうかしたんだよ」
 初三郎爺が水洟《みずばな》を押し拭いながら言った。
「どうも、少し変だなあ。正勝さんと紀久子さんとは、自分たちは一緒になりてえんだが、親父《
前へ 次へ
全42ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング