らひらと飛ぶような恰好《かっこう》をして近寄った。
「何してんの?」
 紀久子は正勝の顔を覗《のぞ》き込むようにして言った。
 しかし、正勝は黙りつづけていた。そして、彼は黙りつづけながら陽射《ひざ》しのほうに背を向けて、第三厩舎の中央の柱にかけてある長い綱を、放牧馬捕獲用の長い綱を、自分の身体にぐるぐると巻きつけていた。
「正勝ちゃん! 何してんの?」
 紀久子は怪訝《けげん》そうに、しかし馴《な》れなれしく繰り返して訊いた。正勝は依然として答えなかった。彼は黙りつづけながら、やはりその長い綱を自分の身体へぐるぐると巻きつけるのだった。
「正勝ちゃん! あなたはどこかへ行くつもりなの?」
 紀久子は恐るおそる、そう、しかし甘えるようにして、正勝の顔を覗き込むようにした。
「心配しないでもいい」
 正勝は初めてそれだけをぼそりと言った。そして、またその長い綱をほぐしては巻き、ほぐしては自分の身体に巻きつけた。しかし、紀久子は正勝の言葉を聞いてほっとした。
「何をするの? その綱で?」
「紀久ちゃんを酷い目に遭わせるようなことはしないから」
「どこかへ行くの?」
「そりゃあ行くさ」
「どこかへ行って、でも、困るといけないわ」
「困ったって……」
「お金を幾らか持っているの?」
「お金? そんなものねえよ」
 正勝は初めて顔を上げて言った。彼の顔は凄《すご》いまでに青白かった。そして、その目は星のように顫えていた。
「紀久ちゃん! 紀久ちゃんは安心していていい。おれが何もかも引き受けるから」
「どこかへ行くんなら、本当に困るといけないわ」
 紀久子はそう言いながら、洋服のポケットに捩《ね》じ込んでおいた幾枚かの紙幣を掴み出して、それを正勝の洋服のポケットに押し込んだ。
「金か? あははは……」
 正勝は静かに、しかし不気味に微笑《ほほえ》んだ。
「おれ、金なんかいらない」
 彼はそう言ったが、しかし、それを掴み出して返そうとはしなかった。そして彼はただ、その長い綱を自分の身体に巻きつけるのだった。
「どこかへ行くんなら……」
 紀久子は正勝を怪訝そうに見詰めながら言った。
「紀久ちゃん! おれ、紀久ちゃんを本当に想《おも》っているんだから、紀久ちゃんを困らせるようなことは決して言わねえから、安心していろ。おれは敬二郎よりももっと紀久ちゃんを想っているのだから。子供の時分
前へ 次へ
全84ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング