喜平のその肉の仮面を肉づきのままに引き剥《は》ぐべく、爪《つめ》を研ぎ澄ましているのだった。
 喜平はじっと正勝を見詰めつづけ、正勝がもし何か喚《わめ》きだしたら、その細長いしなやかな鞭をもってすぐにも殴りつけようとしているのだった。火のような昂奮《こうふん》をもって、喜平は第二の爆発の動機を待ち構えているのだった。
 狂暴な嵐の中の瞬間的な静寂のような沈黙だった。偶然に均衡を得た一つの機構が、わずかの間をどうにか崩れずにいるような、瞬間的静止状態であった。なお大きく恐ろしく爆発しようとして……。そして二人の間には沈黙が続いた。

 隣室の沈黙につれ、紀久子はその身体《からだ》を婆《ばあ》やの手に委《まか》すようにした。婆やは紀久子の肩に手をかけて、ベッドの上へ静かに寝かした。そして、紀久子はベッドの上でじっと目を閉じたが、恐怖の嵐がその身内を駆け巡っていた。
(正勝さんはあのことを言ってしまうのだわ。あの秘密を言おうとしているのだわ。あの秘密を……)
 紀久子は心の中に呟《つぶや》いた。彼女は渦巻き吹き捲《まく》る恐怖の嵐のために、胸が裂けてしまいそうだった。そして、彼女はじっと目を閉じていると、隣室で父の喜平と対峙《たいじ》している正勝がその口辺をもぐもぐさせながら、いまにも叫び出そうとしているさまがはっきりと見えるような気がするのだった。そして、その言葉がいまにも自分の身内へ飛び込んできて、自分の心臓を滅茶《めちゃ》めちゃに噛み荒らすような気がするのだった。紀久子の心臓は熱病患者のように燃えながら顫えた。
(正勝さんがあの秘密を明かしたら、わたしはどうなるのだろう?)
 紀久子はそう思うと、恐ろしいことの来ないうちに消えてしまいたいような気がするのだった。
 しかし、もうどうにもならないことだった。父の喜平と正勝との対峙の場所へ飛び出して、正勝の口を塞《ふさ》ぐことのできないのはもちろんだったし、正勝が一度その口にした秘密という言葉に対する父の追及を、いまさら制止することもできなかった。紀久子はただじーっとして、恐ろしい現実が波紋を描いて広がるのを待っているよりほかには仕方がなかった。紀久子のただ一つの希望は、その不気味な沈黙が沈黙のままに終わってしまうことだけであった。

 沈黙が不気味のままに続きだすと、喜平は書卓の上へがたりと鞭を投げ出して荒々しく煙草《
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