んですから、捜しにいってこようかと思うんですけど……」
「本当に仕様のねえ奴だなあ、黙って逃げ出すなんて。黙って逃げていった奴なんか捜しに行ったところで仕方があるめえ。構わんでおきゃあいいじゃねえか?」
「それはそうですが、でも、自分の妹となってみると……」
「正勝! おまえはなんだってわしにひと言も挨拶《あいさつ》をしねえんだ! 自分の妹じゃねえか? 自分の妹を他人の家に預けておいて、妹がいくらかでも世話になっていると思ったら、黙って逃げていったというのに兄たるおまえが一言の挨拶もしないということはないじゃないか?」
「…………」
「済まないとか申し訳ないとか、なんとかひと言ぐらいは挨拶をするもんなんだぞ。それを一言の挨拶もしねえで、見えなくなったから捜しに行く旅費を貸せなんて、そんな言い方ってあるもんか? おまえはよくよく生まれたままの人間だなあ」
「…………」
「いったいどこへ行ったのか、見当がつくのか?」
「東京らしいんで……」
「東京らしい? たわけめ! 逃げていった者を東京くんだりまで捜しにいって、なんになるんだ? たわけめ!」
「いますぐなら、札幌《さっぽろ》の伯母のところに寄っていると思うもんですから」
「馬鹿《ばか》なっ! 逃げていったもんなんか捜しに行くことねえ! それより、正午《ひる》前にサラブレッド系の馬を全部捕まえておけ、買い手が来るのだから」
「…………」
正勝はなにも言わずに上目遣いに喜平を見て、それからその目を紀久子のほうに移した。紀久子ははっと胸を衝かれた。憎悪! 怨恨《えんこん》! その目は爛々《らんらん》として憎悪と怨恨とに燃えていた。
「なんて目をしやがるんだ? たわけめ!」
喜平は怒鳴りつけた。
「そんな目をしていねえで、早くあっちへ行け! そうして、すぐサラブレッド系の馬を三頭とも全部捕まえておけ! 買い手が来てから捕らえるなんて言ったって、そん時になってからじゃ容易なこっちゃねえから」
正勝はもう一度、憎悪と怨恨とに燃える目を上げて、露台の上の父親と娘とをじっと睨《にら》むようにして見てから、静かにそこを離れていった。
「たわけめ!」
葉巻の煙を空に向かって吐きながら、喜平はもう一度、正勝の後ろから怒鳴りつけた。
項垂《うなだ》れて、静かにそこを歩み去っていく正勝の後姿はひどく寂しかった。
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