で蹂躪《じゅうりん》された肉体の、修整であり保養であった。そして彼女は健康な肉体にかえり次第、これまでの生活から足を洗ってしまいたいと考えていた。しかし、彼女の持って来た資力は、そんなに長い逗留を支えてはくれなかった。彼女は、目的のところまで行き届かぬうちに、その温泉宿から立ち去らなければいけなくなったのであった。
彼女はしかし、その温泉場に未練を持った。この機会に、どうしても以前の肉体に復《かえ》りたいと考えたからである。そこで彼女は、再び以前の職業に戻って、生活費を嫁ぐ傍らに、肉体の恢復に努めようと計画したのであった。
しかし、彼女は再びその生活から脱《ぬ》けることが出来なくなった。彼女の肉体は容易に恢復してはくれないからであった。それは例えば、葉を整えたと思えば蹂躪され、再び葉を整えかけると、再び蹂躪される路傍の雑草のような存在であったから。
五
吉田機関手は、終列車を牽《ひ》いて来るごとに、彼女の家を訪ねて行った。それが殆んど決定的に五日目であった。彼女もその日には、他の客を避けるようにして彼の来るのを待った。菓子などを整えて置いたりした。
「ここの温泉、私のような病気のものには、ほんとによく利きますのね。」
彼女は、そんなことをいったりした。
「で、病気の方、もういいのかね?」
「そりゃ、とても、もういいってほどにはならないけど、なんだか、だんだんよくなるような気がするわ。でも、駄目ね。よくなる片端《かたっぱし》から打《ぶ》ち毀《こわ》しているんですもの。だから、わたし、自分をよく金魚のようだと思うことがあるわ。そら、滝の湯の横に、岩に掘った小さな池があって、家鴨《あひる》を飼っている家があるでしょう。あの池の中に、沢山金魚がいるのよ。ところが、その金魚ったら、どの金魚も、あのひらひらと長い尾がみんな無いの。家鴨に食べられるんですって。そしてまたその尾がひらひらと伸びて来ると、すぐまた食べられるんですって。だから金魚ったら、尾の伸びる間が無いんだっていっていたわ。まるで私のようじゃなくって? 仕様のない家鴨ね。」
彼女はそう話して、ひどく淋しそうに微笑んだ。
「家鴨が悪いんじゃないでしょう。一緒に飼って置く方が悪いんだ。池の中の社会組織が悪いんだ。そう思うな。」
吉田はそういってから溜《た》め息《いき》をついた。
「でも、金魚なら、他の池へ移してやるってことも出来るけど、わたしなんかの場合は、そうはいかないんですものね?」
「一体、あなたは、どのぐらいあれば、なんにもしないで食って行かれるんです?」
「あら、わたし、そんなつもりでいったんじゃないのよ。わたし、近ごろ、あなたから頂くお金だけで、どうにかやっているんですもの。ほんとにわたし、近ごろあなたより他に誰にも来てもらわないようにしているんですもの。だからこそ、だんだんよくなって来るのよ。」
「じゃ、一人ぐらいだったら、身体《からだ》を痛めるようなことが無いわけなんだね?」
「そりゃ、そうよ。」
「僕は、組合の仕事があったりして、今すぐは、結婚が出来ないんでね。」
吉田はそういってまた溜め息をついた。
六
夏になると、彼女は、彼のために浴衣《ゆかた》を拵《こしら》えて置いたりした。
「こんなんですけど、寛《くつろ》げるかと思って、自分で縫って見たの。それに、他所《よそ》へこんなのを頼むとうるさいから。」
「おお、これはいい。」
吉田は、これまでに経験したことの無い情緒的な雰囲気を感じながら、それを着て畳の上へ横になった。
「ぐっすりお休みになるといいわ。屹度《きっと》わたし、時間に間に合うようにして上げるから。」
「第一、具合はどうなんです?」
「いいのよ。とてもいいの。みんな、あなたのおかげだわ。いうまでも無いけど……」
彼女はそういって顔を伏せるようにした。眼が熱くなって来たからであった。
「それはいいね。僕の方の、機関庫の中の組合も、うまく纏《まと》まりそうなんです。裏切り者が出ずに、これがうまく纏まると、素晴らしいんだ。あなた等なんかの場合の解放運動は、すぐ代わりの人間が出来るので、なかなか難しいそうだが、僕等の組合は、出来てしまえば、そりゃ強いよ。僕等は、長年の経験で初めて仕事の出来る技術工だから。実際、僕等の揚合は、代わりの人間がすぐ間に合わないんだから、そりゃ強いよ。」
吉田は、機嫌よくそんなことを話して聞かせたりした。
「ほんとに、そうなるといいわね。」
「なるよ。あなたも、少しの間だから我慢してるんだね。僕が、もっと給料が上がれば、もっとどうかするから。併し、僕は他の人が来ることを焼いていうんじゃないですよ。」
「わかってるわ。せっかくよくなって来ているのに、いくら困ったって、そんな馬鹿なことはし
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