るんだ? 冗談はよせ、冗談は!」
 麻の白服をすっかりインクだらけにされて、人事係はうろたえながら言った。
 しかし、吉本にしては決して冗談ではなかったのだ。彼は静かに頭を振りながら、怪訝そうな目でじっと相手の顔を見詰めているのであった。
 そしてとにかく、吉本は幾らかの金を貰《もら》ってその鉄管工場を追い出されていった。

       4

 吉本が郊外のとある丘の上に永峯の家を訪ねていったのは、彼が工場を追い出されてから約一週間ばかりの日が経《た》ってからであった。
 永峯がそこに、ある一人の女性と家を持ったのはひどく突然であった。
 彼の友人のだれもが知らずにいたほどで、永峯ともっとも親しかった吉本でさえ、一か月あまりも日が経ってから、ある偶然のことで知ったほどであった。――そういう意味から、突然というよりも、むしろ秘密にされていたというべきであった。少なくとも、吉本の受けた感じは秘密なプログラムであった。
 鉄管工場の人たちが観察しているように吉本が憂鬱《ゆううつ》になったのは、永峯が彼らを裏切って行方を晦《くら》ましたからではなかった。――正確に言うと、永峯の裏切りに対して
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