ないんだな?」
「ええ、こっちは別に……」
「じゃとにかく、本署まで連れていって調べるとしよう」
巡査はそう言って、青い作業服の腕を掴んだ。青白い顔の男は不思議そうに首を傾《かし》げた。反抗をしそうな様子などは少しもなかった。
「さあ! 先に立って歩きたまえ」
巡査は腕を掴んで前へ押しやるようにした。男はなにかしらまったく意識を失っているもののように、よろよろとした。群衆がその周りで急にどよめいた。
「旦那《だんな》! ちょっと待ってください」
潮《うしお》のようにどよめきだした群衆の中から、茶色の作業服を着た中年の男が叫ぶようにして巡査の前へ出ていった。
「なんだ? きみはこの男を知っているのかい?」
巡査は立ち止まって言った。
「はい。同じ工場に働いている男なもんですから。……旦那! できることなら、わたしに預けてくださいませんかな。この男は気が変になったっていっても、神経衰弱がひどくなったんで、大したことはないんで……工場の者はみんなよく知ってるんですが、あることからひどく鬱《ふさ》ぎ込んで、まあ、神経衰弱がひどくなったんで……」
「別に罪を犯しているというんじゃないから
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