子さんのことかい? それとも雅子さんの実家のことかい?」
 吉本は籐椅子《とういす》の中にほとんど仰向きになるほど深々と埋まって、微笑を含みながら言った。
「そう具体的に挙げろと言われちゃ、なんにも言えないがね。きみが偽映鏡の話をするから、ぼくもそれを譬《たと》えに使っただけで……」
 永峯もそう言って、今度はまともに吉本の顔を見ながら爽《さわ》やかに笑った。
 そこへ、雅子が女中に果物やサイダーなどを持たせて出てきた。彼女は清楚《せいそ》に薄化粧を刷《は》いて、いっそう奇麗になっていた。
「さあ、どうぞ、吉本さん」
 彼女はそう言って、彼らのコップにサイダーを注《つ》いだりした。秋川の妹であったころに比べると、彼女はいかにも若妻らしい淑《しと》やかさを見せていた。
「なにも構わないでください。それよりも、雅子さんもぼくらの仲間に入っちゃどうです?」
「え、入れていただきますわ」
 彼女は明るく微笑みながら傍の椅子に腰を下ろした。
「永峯! それできみはいったい、いまどんなことをしているんだ?」
「いまは搾取階級なんだ」
「勤めているんだろう? いったい、何をしているところなんだい?」
「これさ。こんなものを拵《こしら》える会社の事務所なんだ」
 永峯は爪《つめ》で磁鉄の灰皿を弾《はじ》いてみせた。灰皿は金属的な余韻を引いて鳴った。
「ばかに頑丈なもんだね。売れるのかね?」
「売れるには売れるんだが、どうもその遣《や》り口《くち》が面白くないんでね。いわゆる、きみのいう偽映鏡なんだ。たとえ一万円の儲《もう》けがあっても、決してそれだけには映してみせないんだから。われわれの目から見ると、偽映鏡も甚だしいもんだよ」
「偽映鏡の話はよそう。雅子さんの前で偽映鏡の話をするのはいけない」
「あら、わたしに聞かされないお話なんですの?」
「雅子さんは偽映鏡を知っていますか?」
 吉本は微笑みながら言って、磁鉄製の灰皿をしきりに弄《いじ》っていた。
「知っていますわ。あの、変に歪んで映る鏡なんでしょう?」
「吉本! きみこそ偽映鏡に取り憑《つ》かれているんじゃないか? さっきから偽映鏡の話ばかりしているじゃないか? それに、最初に発作を起こしたときも偽映鏡の前に立って、じっと見詰めていたそうじゃないか?」
「ぼくにはあの鏡で、非常に面白く考えられるんだ。あの鏡の中の世界を考えてみ
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