生活するの必要に迫られ、中央局通信事務員、河口鉄工場職工、東京地方裁判|所雇《やとい》、その他二三を転々として、東京市水道拡張課の土木監督となり、震災と同時に失職。二カ月ほど土工をして旅費をつくり、郷家に転がり込む。
 帰郷中、妻の出産と共に、座食を抬《よろこ》ばれず、百姓仕事を手伝っては見たが、圧迫の感に堪え得ずして上京。建築人夫、土工人夫等の、全く筋肉労働者の群に投じて約一カ年を送る。筋肉労働中、「文章倶楽部」への投書に依って加藤武雄氏を知り、拾われて訪問記者となり、大正十四年の秋頃から「文章倶楽部」の編輯を手伝うことになって、今日に及んでいる。――併し、編輯に於いては原稿の計算方法から教え導かれ、小説に於いては、処女作以来今日もなお面倒を見てもらっている加藤武雄氏への恩義を思わずしては、私はいつも自分の過去を顧《かえりみ》ることが出来ない。
[#地から2字上げ]――昭和五年(一九三〇年)三月一日執筆――



底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
   1984(昭和59)年4月14日初版発行
入力:大野晋
校正:鈴木伸吾
1999年9月24日公開
2003年10月27日修正
青空文庫
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