んで以来、一入《ひとしお》[#「一入」は底本では「一人」]部落の人気を煽《あお》った。そして不思議に、彼等は礼拝と賽銭とによってその病気から解放されるのだった。外傷よりも内臓の病気の上には、わけても奇蹟を見せるのだった。

     四 最大の效験

 猟犬ジョンが死んでみると、平三は、禿頭の清次郎よりも、竹駒稲荷の方が憎らしくなって来た。自分達の単なる悪巫山戯《わるふざけ》に対して、その生活を、さらにその生命までも脅かそうとしていることを思うと、そのまま引っ込んではいられなかった。平三は、竹駒稲荷の何もかも敲《たた》き壊《こわ》してやろうと考えた。鳥居も祠も、悪い使いをするとの白狐をも撲《なぐ》り殺してやろうと考えた。併しその興奮は日の経つにつれて鎮まった。
 或る時、平三は酒を呑んでいて、ふと憤怒《ふんぬ》に眼醒《めざ》めた。彼はその憤怒を一入《ひとしお》燃え立たそうとして酒をあおった。酒を酒を、あおってあおって彼はぐでんぐでんに酔っ払って出掛けて行った。
「こらっ! 糞垂《くそたれ》稲荷! よくもジョンを殺したな! 勝手に俺等《おらら》の部落さ来やがって、よくも俺とこのジョンを殺したな!」
 平三は祠への階段を上《のぼ》りながら無暗《むやみ》に怒鳴った。そして彼は階段を上りきると、そこの赤い鳥居へ力任せに身体を打ち付けた。
「なんだえ! あんな禿頭に祈られたからって、俺んとこの犬を殺しやがって。糞垂稲荷め! お宮も何も敲《たた》き壊《こわ》してやるから。」
 彼は掌《てのひら》でばたばたと鳥居の柱を敲きながら矢鱈《やたら》に身体をも打ち付けた。打ち付け打ち付け罵詈讒謗《ばりざんぼう》を極めて見たが鳥居は動かなかった。
「なんということをするだね? そんなことすると罰《ばち》が当たりますぜ。おまえさん。大明神の顕然《あらたか》なのを知りなさらんのかね?」
 祠《ほこら》の前に住んでいる湯沢医者が、髯《ひげ》を扱《しご》きながら縁先へ出て来て、食肉鳥のような声を絞った。
「知ってらあ! 知り過ぎてらあ! だから敲き壊してやるのさ。その、白狐だかなんだか、撲《ぶ》っ殺《ころ》してくれっから。糞垂稲荷め!」
 平三はそう言い返して、大手を振りながら祠の軒先まで蹌踉《よろめ》いて行った。そして彼は、そこの礼拝の座に立ち小便を始めた。
「まあ、まあ! なんてことをなさるんです? この顕然《あらたか》な御神前で……」
 祠守りの女が、祠の中から叫んだ。
「御神前も糞もあっかい。狐の小屋の前で小便をすりゃあ、どうだっていうんだ。犬を返せ。犬を返せ。でねけえ、何もかも敲き壊すぞ。」
 彼は祠の入り口まで立って来た湯沢医者の妻女に、吠え付くようにして言って、また祠の柱に身を打ち付けた。
「それは、あなたの思い違いというものですよ。あなたが、清次郎さんに負けないように、お祈りをすれば、いいことなんですからね。」
「俺は、人間様だからな。そんな、稲荷だなんて、狐に頭を下げて頼むのなんか、真《ま》っ平《ぴら》だ。俺には人間の力があるだで。」
 湯沢医師が、住まいの方から、盆の上に二本の徳利を載せて来た。そして平三を宥《なだ》めるようにして言うのだった。
「平三さん。悪いことは言わねえ。さあ、このお神酒《みき》をあげてお詫びをなせえ。酔っててのことだから、まだ取り返しは付く。さあ!」
「なんだと? お神酒だと? 酒なら俺が召し上がってやる。狐になんぞ、勿体《もってえ》ねえこった。」
 そこへ彼の伜が来て、曳《ひ》き摺《ず》るようにして彼を拉《つ》れ帰ったのだったが、彼はその晩、ひどく腹を病み、とうとうその明け方に死んだ。

     五 薬を売る神

「――医業は仁術なり、――と言うが、被告はそれをどう心得ているのだ?」
 裁判官は錆《さび》のある声で厳《おごそ》かに言った。そして、法の鏡に映る湯沢医師の言葉の真意を探《さぐ》ろうとの誠意を罩《こ》めて静かに眼を瞑《つむ》った。
「はい。その通りで御座います。少なくとも、医術を修めました以上は、そんな風に役立てたいものだと思っておりました。併し農村へ参って開業いたして見ますると、農村では、医師の力よりも、神の力の方を信じられておりますので、それを利用して病患者を救いたいと思ったので御座います。」
「併し、被告は、神の力を信ずるという迷信から遠ざけて、医術を信じさせようとするような行為に出たことは、一度として無いではないか? 第一予審調書によると、被告は七年前、宮本キクに、被告の妻の手から竹駒稲荷大明神の御供物《おくもつ》と称して、モルヒネを混入せる菓子を与えて、その発作的胃神経痛の疼痛《とうつう》を鎮めて以来、常に同一手段を用いて参詣客《さんけいきゃく》の病気を癒《なお》した二百七十三件の事実があり
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