、茨は着物を裂いてしまひますから、さう言ふ牛は落ちた谷の附近の住民の臨時の御馳走になるのです。
 斯う言ふ、牛が何里先まで行つて草木を喰べようと、人が何處へ行つて焚木を拾はうと、誰にも文句を言はれない、周圍五十三里の自然も、全島を占めてゐた御料林を昨年縣に拂下げた時から、せせこましい日本の土地になつて來るやうになつて來て居ります。山の樹を荒らすと言ふので、一九二七年からは六月一日からでないと放牧してはならぬ、五年後には放牧一切罷りならぬと言ふことになつて來て居ります。
 齒磨を使はないで、背中を爪でかいて、月拾何圓の生活費で、色の褪めた着物を着て、それで健康と安心とに生きてゐる佐渡人を、抽象的な虚榮、贅澤を以つて都會人の域まで退化さすことが、いくら日本が貧乏でも小さなたつた一つの此島にまで、必要でせうか。尠くなくとも魂の公園としてこの位のものは一箇處保存して置きたいと思ふ。佐渡生まれのおめでたい識者が、縣廳などの單に形式的の物質的の表面的の功利を以つて上役に引立てて貰ふための有毒な宣傳に載せられて、又自分達の虚榮から、島民が苦しんで體裁を作り、更に進んでは都會育ちの化物のやうに寒さにも暑さにも堪へる力を失ひ、少し暗いと眼が利かなくなり、跣足では一歩も歩けないまで退化して、一生を不愉快に過ごすやうにさせて行くことを、單に収入と支出とが増加することを、そして魂が落着を失ふことを、生活が不安定になることを、富を増進さすことを信じてゐる、小利口さ、馬鹿さで、憎むべき罪惡を島民に對して犯してゐるのが、やうやく魂の故郷を見付けた氣持でゐる私に取つては、堪らなく癪でもあり苦痛でもあります。私は佐渡のほんとうの識者、學問があるとか金があるとか利口だとか言ふので無くほんとうに生きてゐる人達――さう言ふ人達はことに佐渡に澤山殘つてゐるのだから――さう言ふ人達が、すべての文化的惡宣傳に載せられず、頑固に野蠻未開を守護して文三の歸るまでやはり同じ大きな聲でおけさをうたつてゐて貰ひたいと思つて居ます。



底本:「明星」「明星」發行所
   1926(大正15)年8月
初出:「明星」「明星」發行所
   1926(大正15)年8月
入力:江南長
校正:小林繁雄
2009年5月3日作成
2009年6月5日修正
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