はりに藁の中にもぐつて寢る佐渡の人、それでも眞實《ほんとう》に笑ふことの出來る佐渡の人。毎日うたつてゐる佐渡の人、ことに相川の町の人。ほんとうに佐渡の人は生きて居ました。誰でもうたへる。誰でも踊れる。お互がうれしいにつけ悲しいにつけ一しよにうたひ一しよに踊れる佐渡の相川。新らしく生まれる子供がやはり今日までと同じやうにうたつたり踊つたりするならば、死んだ日本も生きかへらう。東京が此儘私に氣むづかしい顏を續けて行くのなら私はまた佐渡に歸る。東京は出戻りだ。やはり厭で別れたなかぢやないかと言ひたくなります。
[#天から2字下げ]佐渡のみやげにおけさをならひうたひ出すたび思い出す
と言ふ、このおけさが佐渡の民謠です。相川の町でこれを歌へない人は恐らく唖と生れたての赤子だけでせう。
[#天から2字下げ]知らぬ他國の二階のぞめき聽けばなつかし佐渡おけさ
 佐渡おけさと特別に言ふのは新潟縣の節のまるでちがつたおけさと區別して言ふのです。もともとおけさは新潟市よりも西になつてゐる出雲崎と言ふところが本場だと言ふ説があります。
 三才圖繪に、「小木より巽の方越後之出雲崎に至る海上十八里………申の方能登
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