らない。すくなくとも醉つたふりをして丸橋忠彌以上の苦心をしなければならない。然らずんばしかつめらしい顏をして謠曲をうたはなければならない。
 講談本は隱れても讀める。しかし安木節も鴨緑江も八木節も磯節もデツカンシヨも人にきこえないやうに歌はなければならない。子供に示しがきかないさうである。
 長唄とか新内とか歌澤とか清元とか富元とか乃至義太夫なら少しはいいかも知れないが、下地さへ學校で教へてくれない。踊などはもつての外だ。盆踊は一時は全國的に禁止された位だ。
 隱れた肉欲以外に人は樂しんではならぬ、生きてはならぬ。機械になれ。震災當時に自分のすべきことをはじめて思ひ出すことにして、あとはただ機械になれ。震災のときだけは思ひ出して書類を捨てて逃げるやうな醜態を演ずるな。
 馬鹿。木偶。完成された月給取。奴隷。死骸。忠良なる帝國臣民。
 本願寺さまに喜捨する年年の北國人の淨財は、毎にお寺へ行つて踊り且つ歌ふと言ふ不經濟な氣ちがひじみた生活をしてゐる人の生きがひのある勤勉から出て來るゆとりであつたのではありませんか。
 佐渡の人。齒を磨かない佐渡の人、湯屋で脊なかを爪で掻く佐渡の人、蒲團のかはりに藁の中にもぐつて寢る佐渡の人、それでも眞實《ほんとう》に笑ふことの出來る佐渡の人。毎日うたつてゐる佐渡の人、ことに相川の町の人。ほんとうに佐渡の人は生きて居ました。誰でもうたへる。誰でも踊れる。お互がうれしいにつけ悲しいにつけ一しよにうたひ一しよに踊れる佐渡の相川。新らしく生まれる子供がやはり今日までと同じやうにうたつたり踊つたりするならば、死んだ日本も生きかへらう。東京が此儘私に氣むづかしい顏を續けて行くのなら私はまた佐渡に歸る。東京は出戻りだ。やはり厭で別れたなかぢやないかと言ひたくなります。
[#天から2字下げ]佐渡のみやげにおけさをならひうたひ出すたび思い出す
と言ふ、このおけさが佐渡の民謠です。相川の町でこれを歌へない人は恐らく唖と生れたての赤子だけでせう。
[#天から2字下げ]知らぬ他國の二階のぞめき聽けばなつかし佐渡おけさ
 佐渡おけさと特別に言ふのは新潟縣の節のまるでちがつたおけさと區別して言ふのです。もともとおけさは新潟市よりも西になつてゐる出雲崎と言ふところが本場だと言ふ説があります。
 三才圖繪に、「小木より巽の方越後之出雲崎に至る海上十八里………申の方能登の珠洲水崎に至る四十五里」と、この二つの交通だけが記してあります。
 それから小木のおけさの多少古いのと、出雲崎や柏崎のおけさとほぼ同じものであると言ふ點から推論してさう言つたものらしいのです。
 この小木、出雲崎、及び柏崎のだと言ふのを何れも聽きましたが、此方へ來る途中で小木のまだ三十にもならない女からうろ覺えで、それもたつた一晩の中の數分間だけ聞いたので、三つの區別はとても分かりませんでした。しかし何れも※[#四分音符、1−2−93]が百五十以上ではないかと思はれる早さで、大よそ次のやうなものらしいのでした。相川の昔のおけさが非常に騷がしいものであつたと言ふのが五十ばかりになる人の話ですから、これに近いものだつたかも知れません。
[#楽譜(fig48182_01.png)入る]
 今の小木の節で相川のと特にちがつた特長のあるのは次のやうなのです。間は※[#四分音符、1−2−93]がおよそ百です。
[#楽譜(fig48182_02.png)入る]
 しかし、越後風のおけさよりももつと古いと思はれる節が、その以前に相川にあります。これは相川の鑛夫の妻として若いときに相川に居り、途中で他國へ出たことのある五十ばかりの女から教はつたので、次のやうです。
[#楽譜(fig48182_03.png)入る]
 この節が今の越後風の節にもなり、一方佐渡風の節にもなつたのではないかと思はれるのです。次に出した節はやはり相川で五十以上の女から聞いたのですが、佐渡おけさに移る一階級かとも思はれるやつです。
[#楽譜(fig48182_04.png)入る]
 この節の系統と思はれるのを今年三十になる女から聞きました。その女は小木のものですが、これは餘程今の佐渡おけさに近いものです。それは
[#楽譜(fig48182_05.png)入る]
 その次に現在の佐渡おけさを出すのが順ですが、これは極く粗い譜に取つたのが二百近くありますので、そのうちから選り出すのが面倒ですから、後※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しにします。
 以上出したものよりも更に古い節を私は私の母から東京で子供のとき聞いたのを半分覺えてゐます。それは
[#楽譜(fig48182_06.png)入る]
 この歌の言葉の方は母方の死んだ祖母が言つて居たのを覺えて居たのでして、初まりは
[#天から2字下げ]來いとゆたと
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