始めて生き殘つてゐる[#「生き殘つてゐる」は底本では「生き殘のてゐる」]部分から芽を吹くのです。本當の新芽から出る花や葉は實際に新鮮な色をして居ます。
 紅の花が濟むとたんぽぽ、きんぽうげ[#「きんぽうげ」は底本では「きんぽぽうげ」]、その他名の知れない黄色の花が咲きます。
 それがすむと藤と桐との紫です。紫の花が咲き揃ふときは新緑がやや深くなりかけた時です。
 それから六月。眼まひのしさうな強烈な日光。黒い上一面に鼠色の泡を吹いてゐた海がいつの間にか藍色に染まつてゐる。山の急な斜面と海の平面とで作つた狹い空間に有らむ限りの日光を直射させるために、よろひの胸板のやうに平板な緑が空間のエエテル全部を荒い振幅で捩動させて居るので、何方を見ても景の遠近がなく總べてが生の色で人の顏を打つ。
 午前は凡ゆる陰が紫、午後は代赭色になる。午前の濃い藍色の海は正午にほんの僅磨き上げた鋼鐵の色を呈するだけで直ちに白緑とコバルトとロウズマダを流し合はせたやうになる。三つの色が絶えず右に流れ左に流れて交化する。岩の多い海藻の種類に富んだ海は岩と岩との間を黄に染め赤に彩り緑に染める。錨山の金鑛を碎いた水がその一部に乳色したうす紅を流す。
 毎日毎日の落日の變化。きんを流し、血を流す。或時は町一面を紅梅に染める。或時は緑の頂に燈かと思ひ違へるやうな朱を點ずる。
 天鵝絨の上にパステルで描いたやうな柔らかな朝。
 赤と強い黄の萱草が咲く、海を渡つて牛の草喰ひに行く島の横腹に。紫陽花が咲く、岩蔭の濃い緑の中に。
 斯うなると殆ど毎日毎日晴天續きです。
 あちこちの小學校中學校女學校で運動會が毎日のやうにある。町の村の婦人會の處女會の青年會のと引きつぎ引きつぎ初まる。レコオドコンサアト。オペラの出來損ひ。講演會。學藝會。追分會。おけさ會。プログラムは殆ど毎日を埋めて居る。
 七月に入るとお祭りが初まる。全島青年の競技會がある。
 十三日が相川町恩賜金記念日で町の有志の宴會が晝夜の二囘あるその翌日が鑛山祭です。
 鑛山で出來た町、鑛山で出來てゐる町、鑛山で食べてゐる町ですから、鑛山で東京の太神樂を招んで囃し立てるは勿論、町中の老若擧つて町中を踊つて歩くのです。唄はおけさ。島中の藝者が相川に集合して先頭となつて三味を引いて行く。それが幾組となく後から後から續く。太鼓、皷、笛、ブリキ鑵まで出る。馬車の喇叭まで出る。假裝のもの、印半纒のもの、浴衣のもの、多くは繰り拔いた窓のある編笠を目深にかぶつて。臨時の飮飯店が出來る。臨時の藝者の置屋が出來る。これが三日三晩續くのです。
 引續いて方方の盆踊がある。させ踊、稻扱踊、念佛踊、音頭踊。其他色色の踊があるやうです。
 昨年までは越後に面した村で男女の媾合に象たつ踊があつたさうです。
 私が始めて佐渡に渡つた時馬に蹴られましたが、佐渡の馬のよく蹴るのは、相川から南の峠を越した向ふの土地、相川の人の所謂ぜえ――在の意味です――の祭で馬の蹴合ひをやらすからだと聞きました。
 相川の北の海府では、最近までは男女共褌一つで踊つたさうです。男も女も六尺褌一つだつたさうですが、女だけは一方の腰にきれの餘をだらりと下げたさうですが、米の値の出た時から贅澤になつて着物を夏でも着るやうになつたのだと土地の人が聽かせてくれました。(以上十三年八月、東京で)



底本:「明星」「明星」發行所
   1924(大正13)年10月
初出:「明星」「明星」發行所
   1924(大正13)年10月
入力:江南長
校正:小林繁雄
2009年5月3日作成
2009年6月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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