へ一杯に詰め込まれた船客が盡く横になつて居ますので這入り場處がなく、やうやくの事で體を丸くして人の足先を顏近く戴いて横にさせて貰ひました。とうとう上陸するまで珈琲一杯貰へず、朝飯を宿で食べたきりで夕方島に着きました。
島で馬車を寄せて食事をしようとしましたが船の醉は食慾を封じてしまつて居りました。
船から見た金北山の雪は凄じいやうでした。
馬車の中でスヱツタを取り出して上着の下に着ました。靴の上にはスパツツをかぶせました。オウヴアシユウズも附けました。
島の東岸から西岸までの距離は案外短いのに驚きました。
西岸の町へ來たとき、最早あたりは眞つ暗になつて居ましたが、道はぬかるみで馬車は人を乘せては動けないと言ふので、同勢の三人は下ろされて、道の兩わきの軒下の溝の石をつたはつて歩かせられました。車輪が殆ど泥の中に沒してゐるのです。足元をあやまつた私は膝の邊まで泥にしてしまひました。
其處を拔けると山でした。恐ろしいでこぼこの峠でした。荷があるので馬車を雇つたのは私達の幸でした。山にはパンクした自動車のタイヤが澤山捨ててありました。自動車に乘つた新潟からの連は途中で人力車で私達を追ひ越して行きました。
私達の住まなければならない相川の町は、車がやうやく擦れ違ふことの出來るだけの町幅を持つてゐる眞つ暗な町でした。
私達の宿は五室でして、それに電燈が十燭と十六燭と二つだけ點いてゐました。十燭は東京の二燭よりも暗く十六燭は五燭よりも暗かつたのです。そこにその家の宿主であり私達の世話をしてくれると言ふ老婆がまづい業業しい御馳走をして待つて居てくれました。眼葢の赤く爛れた汚らしいしかも年にも似合はず色氣の殘つてゐるやうな婆さんでした。
電燈は駄駄を捏ねて五十燭を着けて貰ひましたが、その五十燭がまるで十燭にも足りない光力なので、東京で七十燭の下で本を讀んでゐた私にはとても眼が疲れて夜は物が讀めないので氣が滅入つて堪りませんでした。
町の有志の歡迎會と言ふのが土地第一の旗亭壽司嘉でありましたが、薄暗い光の下で斯う言ふ會の行はれるのが不思議な感じがしました。
それから佗しい冬が續いたのです。最早夏は容易に歸つて來ないことになつてしまつたのです。秋をとうとう見ることなしに夏から冬に飛び込まうとは思ひも掛けないことでした。そしてその冬は東京ではまるで想像の付かない佗しい
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