の見えない本當の罹災者の子供ばかりでした。
小學校にまだ這入らないか位の子から三四種の新聞を買つて汽車の中で見ますと、新潟邊は低氣壓で暴れて居ると出てゐました。
寒からうと豫想した輕井澤はスチイムで暑くて困る位でしたが、私のやうに厚着をしてゐる旅客が見えませんので温度を加減さすのも憚られて我慢して通しました。
中央山脈を越すと雨でした。出る時の東京は風と砂埃とで眼も開けられないやうでしたが。
新潟へ近づくにしたがつて降りは益激しくなる、汽車の窓から見える田は一面の湖でした。新潟で船を待つ間に小學校で教はつた先生で今は縣の物産陳列所の長をしてゐる人を訊ねて色色の話を聞いた時、田が湖なのはしよつちゆうの事で、苗下しにも船でやり刈取るのも船で、刈つたあとは信濃川の肥沃な土が次の年の準備をしてくれる儘に放つたらかしである土地だと聞きましたが、見たときはさうとは知らず隨分驚きました。
新潟で汽車から下りようとするとプラツトホウムは全部雨の横しぶきで濡れてゐます。改札口まで横しぶきです。船は勿論出ないと車夫の話でした。
宿へ着いてから三日泊つて船待をして居りましたが、老婆で息子の病氣が重いので佐渡へ歸ると言ふので私より三日ほど前から宿についてゐると言ふのがありました。
東京ではやうやく麥藁帽子を脱ぎ捨てたばかりなのが此方は外套を二枚重ねて着てゐる、ストウヴを焚いてゐる。十分に寒さの用意はして來たつもりでも肌着や洋胯下や靴下が冬支度でないので風を引いてしまひました。オウヴアシユウズは誰もしてゐない。此邊では長靴でなければ駄目だと高等學校の八田さんの話、眞つ直に降る雨は見られないと言ふ事でした。
暴風雨のあとの海を渡る船は高さと長さと同じ位に見える黒い汚い船でした。二等にはとても乘れたものではないと言ふ佐渡の人の忠告に從つて一等に乘りましたが、一等室の天井は低くて立つことは出來ず、客は這ひ込まねばならないのです。ボウイに命じて上沓の入れてある包を取り寄せさせようとしましたがとうとう持つて來ませんでした。夏靴下一枚の足が冷えて堪らないのと荷物のやうに詰め込まれた部屋の中の空氣が厭なので甲板の日の當る處に出て居りましたが、その中手擦から浪の上に白いものを吐く人を見て、その前からむかむかし出してゐた胸が我慢出來さうもなくなつて來たので、周章てて船室に這入りますと、ただでさ
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