に更に幽かに能登半島が見えました。二十三日に登つたときから、もう栗を取りに人が行つて居りました。二十八日の後では十月二日に登りました。この最後の日でもまだこぼれてゐる栗はないやうでしたが、性急な土地の人は樹をゆするやうなことはせずに棒で枝ごと叩き落として、或はうちへ持つて歸り、或は町へ賣りに出るのです。
 一體佐渡と言ふ處は何でも小さく出來る處でして、青野峠附近から南にも北にも島全體に亙つて燒印を押して放牧してある牛も犢ほどしかなく、大根も東京邊の四分の一ほどしかなく、林檎の直徑がほぼ半分、桃も三分の一ほど、牛蒡、葱すべてその調子で、人間だけが折折づぬけて稀には六尺豊なのも居る處ですが、栗も此例に洩れず柴栗ばかりで、その中でやや大きいと言つても支那の甘栗よりも少し小さい位のをばんばん栗――恐らく丹波栗の訛でせう――と言つて居ります。
 二日のときは、峠から山の脊づたひにお晝頃までかかる場處へ行つて、谿間の浮島のある池へおりました。通草が口を開けて居ました。楓と鉤樟とは完全に紅と黄に染まつて居ました。山の脊は大部分丸剥げになつて居ます。池のある谿間へおりる東側の急勾配にも[#「急勾配にも
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