す。
藁の中に寢るのも原因の一つかも知れません。比較的町らしい處では藁を布團に填めて使ひます。これは非常に暖でもあり柔で氣持の好いものです。しかし大抵の農家では冬は藁を一部一杯に撒き散らした中に家内中裸で飛び込んで寢るのです。火事が起つて一家藁の中で死んだことがあるとかで、警察で禁止方針をとつてゐるのださうですがなかなかあらたまりません。
裸で寢るのは藁にもぐつて寢ない町の人でも同じことださうです。しかしこれは越後地方でも同樣だとききました。
概して不潔は土地の風でして、何處へ行つても臭くない町は見當りません。島の首府の相川でさへ、一年も住み慣れた私が臭いので寢附かれない晩が折折あります。土地の人は慣れてゐて感じないので餘處から來た人が正直にそれを言つてもありも爲ない事を言ふやうに思はれて大層憤られることがよくあります。下水の一部が水溜りになつてゐる處がありますが、土地が堅いために幾月もの間浸み込まずに腐るのです。相川には小さな流が全町を通じて八つありますが、川に添つて海まで出る路のついてゐるのが却つて災をして、川の口にその邊の臺處の芥を捨てに行くのが山に成つて居るのです。川の中も芥で一杯ですが、その芥の中で洗ひ物をして居ります。いつか署長が役場に川の芥の掃除について注意を與へたことがあるさうです。すると役場の返答は、「あんたまだ新任で土地のことをよく御存知ねえからそんなことを言ふのどす。もう暫く見て居るがええです。ぢきに雨が降つて流してくれるのどす。」と言ふのだつたさうです。しかし、私が來てから甞て一度もさう言ふ大雨は降つたことがありません。
朝起きてはたきの音を聞いたことがありません。鍋釜をほとんど洗ひません。箸を洗ひません。火鉢の掃除は年に一度か二度するのでせう。下着は冬を通して着更へないものが多いやうです。下駄の眞つ黒なのは普通のことです。朝口を漱がないものは澤山居ります。
眼の變な、足の裏の汚い、虱だらけの着物を着た、臭い頭をした美人が、まつ白に白粉をつけてゐるのは天下の奇觀です。
更に内部に這入つて見ますと、わざわざ手の付いてゐるバケツの兩側に手をかけて水を運んだり、右左の手を逆さに使つて掃いたりしてゐるものもあります。立つて掃く帚もバケツも島では新輸入のハイカラ品だからです。アルミニウムの鑛釜は今だに損なものと思はれて居ります。洗はないので底が拔けてしまふのです。食事の時は更に奇觀です。右の手に箸を持ちながら、左の手で魚の骨をつまみ上げてしやぶつて、その手で平氣で何處でもいぢりまはして居ります。
しかし一方にペパミント、キユラソオ、ベルモツト、ブランデイ、トマトソオスなどを飾り立てたバアもあります。七三に分けた女も居ります。鼻筋だけに白粉を付けた滑稽な女も居ります。南洋の新領土の人のやうに、また開國當時の日本のやうに、思ひ切つたハイカラが是認されます。
東京の風だと言へば大抵の惡事までゆるされます。
共産黨も居ります。共産黨がしかも酒を盛に飮んで※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る共産黨です。
底本:「明星」「明星」發行所
1925(大正14)年1月
初出:「明星」「明星」發行所
1925(大正14)年1月
入力:江南長
校正:小林繁雄
2009年5月3日作成
2009年6月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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