が、今年の春頃、丁度私の宿の近くで雨の夜ごとに僧形の見知らぬものが火の番とすれ違つたさうです。振りかへると姿が見えないと言ふので正しく貉に相違ないと申して居りました。
その前にも二つ岩附近に坊主が出ると言ふ評判がありました。
十月十四日の晩の七時半ごろ山越しに南の方から相川へ戻つて來ますと、丁度もう四五町で相川へ入らうとする、山のおり口で一人の中學生が藁を積んだ處へ何遍も衝突してゐるのに出喰はしました。聲をかけても夢中で藁と衝突をして居ります。やうやく手を引いて路へ出しますとまだよろよろして病人のやうでした。暫く歩かせてから眼も見え足元もたしかになりましたが、私の連は貉がついたのだと申して居りました。
貉のせいかどうか知りませんが、此處には鳥眼がかなり澤山あります。眼の瞼の爛れたのも澤山あります。斜視もざらにあります。濱で採れる若芽を鹽いりにして佐渡芽と稱して賣つて居りますが、越後の人は佐渡の眼病を佐渡目と言つて居ります。此腐れ眼は冬から春までの間に殊に非道くなるらしいのです。縣ではこの眼の惡い原因を花柳病か蒸風呂のためだと考へてゐる樣で、蒸風呂はなるべく禁止して居ります。
蒸風呂と言ふのは鹽の上に藁で出來た大きな袋をかぶせて上から熱湯を注いだ中に人が這入つて蒸されて柔くなつた皮膚を爪で掻いて垢を落とす裝置でして、田舍では今でもこれを行つてゐるので、今の郡長が巡視に行つたときわざわざ風呂場を庭の一隅にこしらへた家もあつたと言ふ位です。人が中に這入つてゐるとも知らずに上から湯を掛けて大火傷をさす事も屡あるさうです。
眼を惡く爲さうな原因は外にも澤山あります。第一に冬になると日光に惠まれない、ただでさへ暗い建築の家は締切りになる、加賀邊の家のやうに天井から明を取るやうにも出來てゐない、さう言ふ處で炬燵に當つて日を暮らす。夜になると穴藏の底のやうな照明力の電燈が僅かに赤味を帶びた色に照るだけです。斯んな事も第一の原因でせう。それに冬になると全然野菜が缺乏します。稀に少し穩な日に三里ばかり南から野菜を賣りに來ることがあつても恐ろしく高い。魚ばかり食べて居るからではないかと思ふのですが、それに雪でいぢめられるからかも知れませんが、冬の終に近づくと毛の色がまるで赤く埃でも浴びたやうに澤の拔けた頭をした女ばかりになります。それが夏を越した今時分になると見られなくなるので
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