遺牘
西郷隆盛
--
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)痛《いたみ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)尚々|藏方《くらかた》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]
[#…]:返り点
(例)伊十院有[#レ]之
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)かさね/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
--
東上初年の消息
[#ここから4字下げ]
東湖訪問心中清淨・櫻任藏豪傑・丈夫と呼ばる・逸散駈付・江戸風に染まず
[#ここから2字下げ]
尚々|藏方《くらかた》目付替御座候處、何となく被[#二]|肝煎《きもい》[#一]候口氣、伊十院有[#レ]之、誠に可[#レ]笑事に御座候。
[#ここで字下げ終わり]
一筆啓上仕候。殘暑甚敷御座候得共、御祖母樣を奉[#レ]初、御一統樣御機嫌能可[#レ]被[#レ]遊[#二]御座[#一]、奉[#二]恐縮[#一]候。伏而不肖無[#二]異儀[#一]相勤申候間、乍[#レ]恐御安慮御思召可[#レ]被[#レ]下候。
扨、先間|便《びん》に差下候字は痛《いたみ》なく相屆候哉、自然御披見被[#レ]下候半。其時共は餘程面白次第に而、東湖先生も至極丁寧|成事《なること》にて、彼宅へ差越申候と、清水《せいすゐ》に浴候|鹽梅《あんばい》にて心中一點の雲霞なく、唯清淨なる心に相成、歸路をわすれ候次第に御座候。御遠察可[#レ]被[#レ]下候。櫻|任《にん》藏([#ここから割り注]東湖に從游尤經濟に志す從四位追贈[#ここで割り注終わり])にも追々差越候處、是も豪傑疑なく廉潔の人物、其上博識に御座候。彼方《あのはう》の學問は始終忠義を主とし、武士となるの仕立にて、學者風とは大いに違ひ申候。自畫自讚に而人には不[#レ]申候得共、東湖も心に被[#レ]|惡《にくま》候|向《むき》に而は無[#二]御座[#一]、毎《いつ》も丈夫と呼ばれ、過分の至に御座候。我ものに一義も被[#二]引受[#一]、頼母敷《たのもしく》共、難[#レ]有共不[#レ]被[#レ]申、身にあまり國家の爲|悦敷《よろこばしき》次第に御座候。若哉《もしや》老公|鞭《むち》を擧て異船へ魁《さきがけ》御座候はゞ、逸散《いつさん》駈付《かけつけ》むへ草([#ここから割り注]埋草[#ここで割り注終わり])に成共罷成申度心醉仕申候。御一笑可[#レ]被[#レ]下候。老公も此廿五日御軍制改正の御|掛《かゝり》被[#二]仰渡[#一]、御登城に相成申候。何樣の獻立《こんだて》に御座候哉、其後水府へ參不[#レ]申候に付、模樣《もやう》相分不[#レ]申候。追而細事申上候樣仕申候。刀の儀難[#レ]有御厚禮申上候。何卒|便宜《べんぎ》を以て御遣し被[#レ]下度奉[#二]|合掌《がつしやう》[#一]候。掛《かけ》而|重疊《かさね/″\》[#「重疊《かさね/″\》」は底本では「重疊《かさね/\》」]自由の儀申上不都合千萬に御座候得共、御仁宥可[#レ]被[#レ]下候。愈江戸風の浮氣《うはき》には相|當《あたり》不[#レ]申候に付、夫|丈《だ》けは御安心可[#レ]被[#レ]下候。一|緒《しよ》に參候人々の内、品川へ足|踏《ぶみ》不[#レ]致は壹人にて御座候、是位に續人《つゞくひと》は無[#二]御座[#一]候得共、とろけは不[#レ]仕候、御察可[#レ]被[#レ]下候、樺《かば》直八、至極の御丁寧に而、定御供《じやうおとも》に相加候處、勤向《つとめむき》も相分候に付、仕合の事に御座候。此廿二日には増上寺御|豫參《よさん》有[#レ]之、御供に而御座候處、誠《まこと》賑々敷《にぎ/\しき》次第に御座候。頓《とん》と五社御參詣の時の如く、御衣冠|御轅《おんながえ》に被[#レ]爲[#レ]召、美を盡し候事に御座候。此旨御安否御伺迄奉[#レ]得[#二]尊意[#一]候。恐惶謹言。
七月廿九日[#地から2字上げ]西郷善兵衞([#ここから割り注]後吉兵衞又吉之助に更む[#ここで割り注終わり])
椎原與右衞門樣
椎原權兵衞樣
追而十右衞門方へ申越候趣も御座候間、御高覽可[#レ]被[#レ]下候。
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(按)安政元年、翁二十八歳、中小姓を以て三月藩主齊彬公に扈從して始て江戸に出づ。四月樺山三圓と小石川水戸邸に赴き、始て藤田東湖に面見す。其後數々往て時事を談じ、大に其人物を推尊す。又同藩士櫻任藏にも推服する所あり。此書簡は、其當時母方の叔父椎原兄弟に寄せたものにて、椎原國雄所藏す。
[#ここで字下げ終わり]
主家悲報
[#ここから4字下げ]
大變到來・太守父子一病一死・怒髮冠を衝く・不動祠祈願・奸女を倒す・身命塵埃・死の妙所・生の苦
[#ここから2字下げ]
尚々御賢父樣御元氣の筈、宜しく御傳へ可[#レ]被[#レ]下候。
[#ここで字下げ終わり]
秋冷相催候處、愈以御壯剛奉[#二]慶賀[#一]候。隨而小弟にも無異《かはりなく》罷在、當分は宿替《やどがへ》にて獨居いたし、間々《まゝ》夢中には貴丈《あなた》に御逢申上候。偖大變到來仕、誠に紅涙にまみれ、心氣|絶々《たえ/″\》に罷成、悲憤の情御察可[#レ]被[#レ]下候。もうは御聞及の筈と奉[#レ]存候、先々月|晦日《みそか》より、太守樣俄に御病氣不[#二]一と通[#一]御|煩《わづらひ》、大小用さへ御床之内にて、御|寢《やすみ》も不[#レ]被[#レ]爲[#レ]成、先年の御煩の樣に相成模樣にて、至極御世話被[#レ]成候儀に御座候。若殿《わかとの》樣には去廿三日晝九ツ時より御|瀉《くだ》しにて、晝の内十二度夜二十五度位の儀にて、八ツ時終に御卒去被[#レ]遊候段、我々式は翌朝承候位にて、殘念如何とも申樣のあるものにて無[#二]御座[#一]候。思へば/\髮《はつ》冠《かむり》を突《つ》き候。太守樣にも至極御氣張り被[#レ]遊候御樣子も被[#レ]伺申候。又此上御|煩《わづらひ》重《おもり》候ては、誠に暗《やみ》の世の中に罷成儀と、只身の置處を不[#レ]知候。只今致方無[#二]御座[#一]、目黒の不動へ參詣致、命に替て祈願《きぐわん》をこらし、晝夜|祈《いのり》入事に御座候。熟《つら/\》思慮《しりよ》仕候處、いづれなり奸女をたをし候外無[#レ]望時と伺居申候。御存の通り、身命《しんめい》なき下拙《わたくし》に御座候へば、死する事は塵埃《ぢんあい》の如く、明日を頼まぬ儀に御座候間、いづれなり死の妙所を得て、天に飛揚致、御國家の災難を除き申度儀と堪兼候處より、相考居候儀に御座候。心中御察可[#レ]被[#レ]下候。實に紙上に向て、此若殿樣の御儀申述難く、筆より先に涙にくれ、細事に不[#レ]能[#レ]及候。眼前奉[#レ]拜候故、尚更難[#レ]忍、只生きて在るうちの難儀さ、却て生を怨み候胸に相成、憤怒にこがされ申候。恐惶謹言。
八月二日[#地から2字上げ]西郷善兵衞
福島矢三太樣
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(按)翁の始て江戸に出づるや、四月庭方役となり、屡々齊彬公に謁し意見を陳述す。六月公疾あり、閏七月世子虎壽丸夭折す、呪詛或は毒殺の風説あり。翁は樺山三圓・有村俊齋等と大に憤慨す。此書牘は其當時在藩の同志に寄せたるものなり。福島矢三太は翁が大久保・有村の諸士と伊東猛右衞門に從うて陽明學を修めし同志の一人なり。早く歿したるを以て名を成すに及ばざりき。
[#ここで字下げ終わり]
東湖震死の報
[#ここから4字下げ]
杖とも柱とも・何事も此れ限り
[#ここで字下げ終わり]
一筆啓上仕候。時下寒氣相|募《つのり》申候處、御一同樣先以御機嫌能御暮被[#レ]爲[#レ]遊候由、幸賀之至り此事に奉[#二]存上[#一]候。隨而私事無異消光仕居候間、乍[#レ]恐左樣御安心可[#レ]被[#レ]成候。扨而《さて》此の二日の大地震は前古|未曾有《みぞう》にて、御同樣杖とも又柱とも頼《たより》に致居候水戸の藤田戸田之兩雄も搖打《ゆりうち》に被[#レ]逢、黄泉《よみぢ》の客と被[#レ]成候始末、如何にも痛烈之至り、何事も此ぎりと旦暮《あけくれ》愀悒《しういう》嗟嘆《さたん》相極め居候、御深察可[#レ]被[#レ]下候。不[#二]取敢[#一]御急報申上度|荒々《あら/\》如[#レ]此御座候。恐々不盡。
十月六日[#地から2字上げ]西郷吉之助
大久保一藏樣
[#ここから2字下げ]
尚々君公益御機嫌能、澁谷御屋敷へ被[#レ]爲[#レ]入候。上屋敷は迚も御居住出來兼申候。兎に角一大修理を要申候、御賢察可[#レ]被[#レ]下候。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(按)安政二年十月二日江戸大地震あり。藤田東湖震死す。右は此時の書信に係る。鹿兒島市川上四郎兵衞所藏す。
[#ここで字下げ終わり]
獄中の消息
[#ここから4字下げ]
英艦來襲・君を思ひ祖母を懷ふ・無鳥郷の蝙蝠・學者の鹽梅にて可笑し・學問は御蔭にて上る
[#ここから2字下げ]
尚々御煙草御惠投被[#二]成下[#一]、難[#レ]有御厚禮申上候。
[#ここで字下げ終わり]
改年之御吉慶、御超歳被[#レ]遊[#二]御座[#一]、恐悦之御儀奉[#レ]存候。隨而私事無[#二]異儀[#一]獄中に消光仕申候間、乍[#レ]恐御安慮被[#二]成下[#一]度奉[#二]合掌[#一]候。陳ば去年七月|炮戰《はうせん》之|騷動《さうどう》御座候由、扨々大騷ぎの事に御座候半、想像仕に尚|餘《あまり》有る事に御座候。御祖母樣如何|計《ばかり》之御驚嘆と、是|而已《のみ》|案勞《あんらう》仕候儀に御座候。京師邊にも一揆相起候由、いづれ天下之大亂近きに候半、可[#レ]恐世上罷成候事に御座候。當島におひても、若哉《もしや》異國船共參申候はゞ、君臣之節不[#二]相失[#一]處迄は相盡|賦《つもり》にて、政照|抔《など》至極之決心にて、外兩人義民|相募《あひつのり》、三人は必至に罷成居申候間、是等の事ども樂しみにて相暮居候事に御座候。書物讀み弟子二十人計に相成、至極の繁榮《はんえい》にて、鳥なき里《さと》の蝙蝠《かうもり》とやらにて、朝から晝迄は素讀《そどく》、夜は講釋|共《ども》仕而、學者之|鹽梅《あんばい》にて獨《ひとり》笑《をか》しく御座候。乍[#レ]然學問は獄中之御蔭にて上り申候、御一笑可[#レ]被[#二]成下[#一]候。手|拭《ぬぐひ》年頭之祝儀に段々|貰《もらひ》申候間、御祖母樣え[#「え」は底本では変体仮名「江」]進上仕候間、御笑納可[#レ]被[#二]成下[#一]候、此旨荒々御祝儀迄如[#レ]此御座候。恐惶謹言。
正月二十日[#地から2字上げ]大島吉之助
椎原與三次樣
椎原權兵衞樣
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(按)右は元治元年正月、沖永良部島より、鹿兒島なる叔父椎原兄弟に贈りたる新年賀状にして、椎原國雄所藏す。
[#ここで字下げ終わり]
亡父の借金返濟
[#ここから4字下げ]
陛下供奉鹿兒島着の翌日・舊恩感謝・貳百金返辨
[#ここで字下げ終わり]
酷暑之砌御座候へ共、彌以御堅固可[#レ]被[#レ]成[#二]御座[#一]、珍重奉[#レ]存候。隨而小弟此節|供奉《ぐぶ》被[#二]仰付[#一]、昨日安著仕候間、乍[#レ]憚御放意可[#レ]被[#レ]下候。陳ば先年亡父拜借金いたし居、其後私共にも度々之災難に逢、一向御挨拶等も不[#レ]致其儘打過居候次第、何とも無[#二]申譯[#一]仕合、亡父に對しても不[#二]相|濟《すま》[#一]事に御座候處、御承知も被[#レ]下候半、昨年出京仕候處、不[#二]容易[#一]重職を蒙り、何とも恐入候次第に御座候。就而は過分《くわぶん》之重任を受候も、畢竟亡父御|懇《こん》情を以、莫大《ばくだい》之金子拜借を得、是が爲に多くの子供を生育いたし候故に而
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
西郷 隆盛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング