ければ、縱令當時知る人無く共、後世必ず知己有るもの也。
三八 世人の唱ふる機會とは、多くは僥倖の仕當《しあ》てたるを言ふ。眞の機會は、理を盡して行ひ、勢を審かにして動くと云ふに在り。平日國天下を憂ふる誠心厚からずして、只時のはずみに乘じて成し得たる事業は、決して永續せぬものぞ。
三九 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。體有りてこそ用は行はるゝなり。肥後の長岡先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ樣になりたりとて嘆息なされ、古語を書て授けらる。
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夫天下非[#(レバ)][#レ]誠[#(ニ)]不[#レ]動[#(カ)]。非[#(レバ)][#レ]才[#(ニ)]不[#レ]治[#(ラ)]。誠之至[#(ル)]者。其動[#(ク)]也速。才之周[#(ネキ)]者。其治也廣[#(シ)]。才[#(ト)]與[#レ]誠合[#(シ)]。然[#(ル)]後事[#(ヲ)]可[#(シ)][#レ]成[#(ス)]。
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四〇 翁に從て犬を驅り兎を追ひ、山谷を跋渉《ばつせふ》して終日獵り暮らし、一田家に投宿し、浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなりと。
四一 身を修し己れを正して、君子の體を具ふる共、處分の出來ぬ人ならば、木偶人も同然なり。譬へば數十人の客不意に入り來んに、假令何程饗應したく思ふ共、兼て器具調度の備無ければ、唯心配するのみにて、取賄ふ可き樣有間敷ぞ。常に備あれば、幾人なり共、數に應じて賄はるゝ也。夫れ故平日の用意は肝腎《かんじん》ぞとて、古語を書て賜りき。
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文[#(ハ)]非[#(ル)][#二]鉛槧[#(ニ)][#一]也。必[#(ズ)]有[#(リ)][#二]處[#(スル)][#レ]事[#(ニ)]之才[#一]。武[#(ハ)]非[#(ル)][#二]劒楯[#(ニ)][#一]也。必[#(ズ)]有[#(リ)][#二]料[#(ル)][#レ]敵[#(ヲ)]之智[#一]。才智之所[#レ]在[#(ル)]一焉而已。[#ここから割り注]○宋、陳龍川、酌古論序文[#ここで割り注終わり]
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