遺教
西郷隆盛

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)殀《エウ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)學者|工夫《くふう》上。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「くさかんむり/開」、目次1−6]

 [#…]:返り点
 (例)殀《エウ》壽不[#レ]|貳《ウタガハ》

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)孟子曰[#(ク)]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)否々《いな/\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

     死生の説

孟子曰[#(ク)]。殀《エウ》壽不[#レ]|貳《ウタガハ》。修[#(メテ)][#レ]身[#(ヲ)]以俟[#(ツ)][#レ]之[#(ヲ)]。所[#二]以立[#(ツル)][#一レ]命[#(ヲ)]也。(盡心上)
[#ここから1字下げ]
殀壽は命の短きと、命の長きと云ふことなり。是が學者|工夫《くふう》上の肝《かん》要なる處。生死の間|落着《おちつき》出來ずしては、天性と云ふこと相分らず。生きてあるもの、一度は是非死なでは叶《かな》はず、とりわけ合點《がてん》の出來さうなものなれども、凡そ人、生を惜み死を惡む、是皆思慮分別を離れぬからのことなり。故に慾心と云ふもの仰山《ぎようさん》起り來て、天理と云ふことを覺《さと》ることなし。天理と云ふことが慥《たしか》に譯《わか》つたらば、壽殀何ぞ念《ねん》とすることあらんや。只今生れたりと云ふことを知て來たものでないから、いつ死ぬと云ふことを知らう樣がない、それぢやに因つて生と死と云ふ譯《わけ》がないぞ。さすれば生きてあるものでないから、思慮分別に渉ることがない。そこで生死の二つあるものでないと合點《がてん》の心が疑はぬと云ふものなり。この合點が出來れば、これが天理の在り處にて、爲すことも言ふことも一つとして天理にはづることはなし。一身が直ぐに天理になりきるなれば、是が身修ると云ふものなり。そこで死ぬと云ふことがない故、天命の儘《まゝ》にして、天より授かりしまゝで復《かへ》すのぢや、少しもかはることがない。ちやうど、天と人と一體と云ふものにて、天命を全《まつた》うし終《を》へたと云ふ譯なればなり。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(按)右は文久二年冬、沖永良部島牢居中、孟子の一節を講じて島人操坦勁に與へたるものにて、今尚ほ同家に藏す。
[#ここで字下げ終わり]

     一家親睦の箴《いましめ》

[#ここから1字下げ]
翁、遠島中、常に村童を集め、讀書を教へ、或は問を設けて訓育する所あり。一日問をかけて曰ふ、「汝等一家|睦《むつ》まじく暮らす方法は如何にせば宜しと思ふか」と。群童|對《こた》へに苦しむ。其中尤も年|長《た》けたる者に操《みさを》坦勁と云ふものあり。年十六なりき。進んで答ふらく、「其の方法は五倫五常の道を守るに在ります」と。翁は頭を振《ふ》つて曰ふ、否々《いな/\》、そは金看板《きんかんばん》なり、表面《うはべ》の飾《かざ》りに過ぎずと。因つて、左の訓言を綴《つゞ》りて與へられたりと。
[#ここで字下げ終わり]
此の説き樣は、只|當《あた》り前の看板のみにて、今日の用に益なく、怠惰《たいだ》に落ち易し。早速《さつそく》手を下すには、慾《よく》を離るゝ處第一なり。一つの美味あれば、一家擧げて共にし、衣服を製《つく》るにも、必ず善きものは年長者に讓《ゆづ》り、自分勝手《じぶんがつて》を構《かま》へず、互に誠を盡すべし。只|慾《よく》の一字より、親戚の親《したしみ》も離るゝものなれば、根據《こんきよ》する處を絶《た》つが專《せん》要なり。さすれば慈愛自然に離れぬなり。

     書物の蠧《むし》と活學問《くわつがくもん》

[#ここから1字下げ]
明治二年、翁は青年五人を選び、京都の陽明學者|春日潜庵《かすがせんあん》の門に遊學せしむ。五人とは伊瀬知《いせぢ》好成([#ここから割り注]後の陸軍中將[#ここで割り注終わり])、吉田清一([#ここから割り注]同上[#ここで割り注終わり])、西郷小兵衞([#ここから割り注]翁の弟[#ここで割り注終わり])、和田正苗、安藤直五郎なり。其時翁は吉田に告げて曰ふ。
[#ここで字下げ終わり]
貴樣《きさま》等は書物の蠧《むし》に成つてはならぬぞ。春日《かすが》は至つて直《ちよく》な人で、從つて平生も嚴《げん》な人である。貴樣等修業に丁度《ちやうど》宜しい。
[#ここから1字下げ]
と、又伊瀬知に告げて曰ふ。
[#ここで字下げ終わり]
此からは、武術|許《ばか》りでは行けぬ、學問が必要だ。學問は活《い》きた學問でなくてはならぬ。其れには京都に春日と云ふ陽明學者がある、其處に行つて活きた實用の學問をせよと。

     私學校|綱領《かうりやう》

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一 道を同《おなじう》し義相|協《かな》ふを以て暗《あん》に集合せり、故に此理を益|研究《けんきう》して、道義に於ては一身を不[#レ]顧[#(ミ)]、必ず踏《ふみ》行ふべき事。
一 王を尊び民を憐《あはれ》むは學問の本旨。然らば此天理を極め、人民の義務にのぞみては一向《ひたすら》難《なん》に當り、一同の義を可[#(キ)][#レ]立[#(ツ)]事。
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(按)翁の鹿兒島に歸るや、自分の賞典祿を費用に當てゝ學校を城山の麓《ふもと》なる舊|廐《うまや》跡に建て、分校を各所に設け專ら士氣振興を謀れり、右綱領は此時學校に與へたるものなり。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「西郷南洲遺訓」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月2日第1刷発行
   1985(昭和60)年2月20日第26刷発行
底本の親本:「絶島の南洲」内外出版協會
   1909(明治42)年10月20日発行
   「南洲翁謫所逸話」川上孝吉
   1909(明治42)年2月27日発行
※底本の末尾に添えられた「書後の辭」で、編者の山田済斎は、「遺教」を「孤島の南洲」と「南洲翁謫所逸話」をもとにしてまとめたとしています。この内、「孤島の南洲」は正しくは、「絶島の南洲」です。
※「絶島の南洲」は、近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で参照できます。
入力:田中哲郎
校正:川山隆
2008年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
全1ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西郷 隆盛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング