思の發達に依るのである、凡そ意思なるものは進で努力するといふことも出來れば又退て制止することも出來る、そこに始めて自我なるものが現れて來る、唯宇宙の活動に依て律せられるのみでは未だ自我はない、唯自然界の一部である、本來自然界の一部であるものが漸次知情の發達に伴つて意思が茲に發展して來たときには自分で自分を制止したり又努力して何事歟を成し遂げたり抔する、それだけの範圍に自我が出來る、それゆゑ自我は實に小なるものであるのみならず其自我が出來て居ても決して自分の思ふ通りになる譯ではない、矢張宇宙の趨勢に制せられる、そこに不可解のものがある、何故左樣なものがある乎といふことは到底個人の地位からは※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]に超絶した大問題である、但し意思と雖一層廣汎なる所から言へば宇宙の活動の制裁の範圍に入らぬことはない、矢張自然の制裁の範圍に入て來るけれども併し少し區別がある、又意思には動機が種々生じて、それが互に競爭するといふやうなこともある、尤是等の事を唯今詳述することは時間が許さぬ云々。
 評者曰博士は嚮動欲動意思は必ず宇宙の活動から出て來るもので、それには又
前へ 次へ
全38ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 弘之 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング