更に一層廣汎なる所から言へば宇宙の活動の制裁の範圍に入らぬことはないとも言ひ又それとも少し區別があるとも言ひ又意思の動機が互に競爭するとも言ひ種々に言ひ囘はされる所を見ると博士の主義は頗る曖昧となつて殆ど解らぬことになるのである。
井上博士曰以上段々論じ來つたやうな譯であるから進化論に就ては必ず先づ意思といふものを必要條件として研究せねば十分でない、此意思といふものの側から行くと即ち目的的といふことになる人間も動物も植物も皆目的的に働くのである、人間の道徳の事でも凡て意思が目的的に働くので完全に達するのである、凡て目的なしの行爲といふものは狂者の外にはない、而して其目的は必ず宇宙の活動から出て來るのである、哲學では必ず左樣に論究せねばならぬ、そこが即ち哲學の必要なる所である云々。
評者曰宇宙の現象が凡て因果的機械的であるは言ふ迄もなけれども、其結果から見ると宛かも既に目的があつて出來たやうに見えるのであるといふことに就ては段々論じ來つた通りであるから最早繰返すにも及ぶまいと考へるのであるが併し高等動物及び人間に至ては意識上明かに目的がある、是れは目的と稱して不都合はない、けれども是れとても實は自個の自由なる意思で自由に目的を立てるのでは決してない、意思が必ず因果的機械的に出て來るにも拘はらず、それが意識的であるから其目指す點が明瞭になつて居る、それで、それを目的的と稱してもよいのである、けれども矢張全く因果的機械的に出て來る目的で決して吾々が自由に立て得る目的でないことは言ふ迄もないのである。
評者又曰偖是れにて批評は大略結了したと思ふのであるが之を要するに博士の意は進化論に於て最も必要條件として居るものは生存競爭といふことであるけれども生存競爭なるものは抑末の事であつて生存競爭を説くには先づ宇宙の靜的實在から宇宙の大活動又宇宙の意思の如き大本源に溯て研究せねばならぬことであるのに進化論者は左樣なることは凡て全く不問に付して居るのであるから進化論は到底哲理となるものではないといふのである、然るに余輩自然論者から見ると抑宇宙の靜的實在なるものは到底信憑すべき實證の存するものでない、又宇宙の大活動宇宙の大意思なるものも同樣全く臆測に外ならぬもので概して不可思議的神秘的超自然的|化《バケ》物的の力を想像するに過ぎぬ、然るに宇宙は決して左樣なものでない、却て絶對自然的
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