ざる以前の紙屑屋が述懐には市井落魄の生活苦滲みていみじく、後段、落合の火葬場へらくだの死骸を運ぶくだりにては、
『田圃だと思えば畑、畑だと思うと田圃という、いやな道だ。すると、そこに土橋がある……』
 に、江戸末年の高田、落合風景|泛《うか》びて、まことにこの描写、凡手ならずと今に嘆称するのところなり。たまたま花袋がこのあたりの描写にもほぼ同様の一文ありけれ。
 耳癈《みみし》いて狂死せる朝寝房むらく[#「むらく」に傍点]も、酔いどれの噺は一種いいがたきおかし味あり、ことにはかの折々『ふあーッ』と絶叫せる奇声妙音、また大正末年の寄席風物詩に一異彩たりしが、このむらく[#「むらく」に傍点]も『らくだ』は得意の演題にて、この人のはむしろ後段におもしろき箇所、数多《あまた》ありたり。
 まず、らくだの死骸を背負いし紙屑屋、高田辺りの質屋を叩き起こして、この死骸を質入れさせよ、しからずんば某《なにがし》かよこせよといたぶるの一齣《ひとこま》あり。
 また、らくだの死骸を街上へ振り落とすに、三代目小さんの手口は、彼ら両名大トラのため、いつとはなしに落としてしまうものなりしかどむらく[#「むらく」に傍点]はしからず。
 首尾よく質屋で小銭を借りたる両名、打ち喜びてまたもやパイ一傾け、いっそ吉原へでもくりこむ気で景気をつけようぜと、ちゃちゃちゃんちゃんら、ちゃらちゃらちゃんなぞ、三下りさわぎの口三味線もおかしく、とど、両名大はしゃぎにはしゃぎだして、焼場の板戸へ突きあたるまでめったやたらに駆け出すため、ここに当然の結果として、らくだの屍骸を振り落とすなり。
 さればらくだと思いて拾いたる願人《がんにん》坊主が、やがて、かつがれながら後棒のらくだの兄弟分と何やら話すを聞きとがめ、先棒の紙屑屋、振り返りて、
『喧嘩するなイ』
 とたしなめるなぞ、三代目にはなき型にて、むらく[#「むらく」に傍点]創案にや、前人の踏襲にや、とまれ、自然なる錯覚ぶりが、げにや無類の諧謔《かいぎゃく》なりけり。
『火屋《ひや》でもいいからもう一杯』のサゲの前、炎々たる火焔にのた打ち廻る願人坊主を、それ、物の怪が憑きにけるぞとて、棒押っ取りて打ち叩く火夫の姿は、いと物凄きかぎりにて、やや、もって廻れるの非難はあらんも、これまたむらく[#「むらく」に傍点]独特の場面なりしと今にして思ほゆ。
 ――先代桂春團治が
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