されるあたりなど――そう言ってもいい味だった。
市馬。今は亡き市馬。
無花果の葉を、煎じて飲むと、自分はひとり市馬を思う。
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柳桜のまくら
その歳晩、私の住んでいた小田原の家の南の窓からは足柄、二子が遠く見え、庭先には、冬をも青々とした竜胆《りんどう》があり、千日菊があり、千日菊にはまん丸い白い花が咲いていた……。
さてその時の日記の一節には左のようなことがしたためられている。
「金柑の実も、移り住んだ時には真っ青だったのが、しばらく、仄かな黄色に熟れてきた。
ここのうち[#「うち」に傍点]には、だが、ふつうの竹ばかりで孟宗がないのが憾《うら》みだから、早く、植えたいと思う。
南天も、今あるような短いのばかりでなく、たわわ[#「たわわ」に傍点]のがほしい。
山茶花《さざんか》や椿も好きなひとつだ。
名人春錦亭柳桜の速記によれば、『千利休』のおしえとして、
『樫づんど 若木の柘《つげ》に黐《もち》の森 雪隠椿、門に柚の木』
また、
『客主人ひかえのあとに集め石 ゴロタ履ぬぎ 鞍馬 つくばい』
とあるそうだが、石の方まではとても私くらいの年齢ではわからないし、事実今はまだ識りたくもないとして、なるほど「門に柚の木」ぐらいはこの上植えておいてもいいような気がする。
つい、このあいだまでは華やかな暮春の果樹園のみをこよなく愛した自分だが、この頃は、いっそ、夜降る雪に美しい樹々が、心から慕われる。
それほど、人並みの苦患《くげん》を少しでも経てきた自分でではあるためだろうか。
とまれ、小田原の春を待つ日はしずかである」
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馬楽地蔵
「伊藤痴遊大人『講談落語界』編集の砌《みぎり》といわば、大正四、五年頃なるらんか。
姫野里人といえる人、先々代蝶花楼馬楽が、谷中浄名院なる馬楽地蔵に詣ずるの記を書きしにさそわれ、まだ十二、三の少年たりし己れも、初めて浄名院に詣でたりけり。
里人が戯文にありし「地蔵尊顔へ烏が糞をひり」の柳句、いかさま当時は鉛筆にて地蔵尊の尊体に記されてはありぬ。
近時、ふと思うことありて、欠かさず月詣ではじめしも、地蔵尊には
『大正三年一月十六日 釈浄證信士』
とあり、左楽(現)、燕枝、志ん生、柳枝、つばめ、馬生、小勝、今輔、小せん、文楽(いずれも先代、先々代)の名を線香立て、花立
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