、昔ながらの猪早太はなつかしくうれしかった。※[#歌記号、1−3−28]ストンと投げた のあとへ、※[#歌記号、1−3−28]あいつァ妙だこいつァ妙だまったく妙だね――の踊りの繰り返しにもめっぽう嬉しさがこみ上げてきた。※[#歌記号、1−3−28]裸で道中するとても――の飛脚のような振りをするところも絵になっていてよかった。そのあと、「箱根関所」の茶番。これは巴家寅子、丸一小仙の役人、海老蔵の墨染、小亀の角兵衛獅子という贅沢な顔づけがわけもなくありがたかった。「親父が作兵衛、子供が角兵衛」と踊り出すここの繰り返しも軽妙で江戸前だった。総体に江戸茶番の愉しさはこうした可笑味の振りの繰り返しのところにあるといえよう。中入り過ぎに寅子のチョボで、小仙の松王、海老蔵の源蔵、唐茄子の千代、松太郎の熊谷、もう一人名前をしらないやせぎすの男の敦盛で、これもいっぱいに活かしていてなかなかにコクがあった。日本に、東京に、伝統されている「芸」の喜び。久しぶりで私は年忘れをした満足をしみじみと味わわされた。

 十二月二十八日。
 ボンヤリ日の暮れ、炬燵へ入っていた。すでに書き上げた長篇『圓朝』のテニヲハ直しが手につかず、あぐねてポカンとしていたからだった。古今亭志ん太君が入って来た。志ん生君が今夜私と忘年宴を張りたいからというその使者だった。すぐ仕度していっしょに出かけた。東宝名人会まで行って打ち合わせ、志ん太君の案内でひと足先へ新宿の廓の裏にあるささやかな料亭へ連れて行かれる。座敷に胡瓜と空豆の其角堂の夏の色紙がかかっていた。間もなく志ん生君、駆け付けて来て飲みはじめる。まず麦酒《ビール》、それからお酒。なめこ[#「なめこ」に傍点]の赤だしが美味しかった。私と志ん太君だけ海鼠《なまこ》をやり、歯の悪い志ん生君は豆を食べる。豆で飲むとは奇妙なり。この間、同君が落語化上演した拙作小説『寄席』を中心に、いろいろ芸談が、次々とでる。今も決して自分を巧く思っていないという志ん生君の言葉に打たれる。私は五カ月悶々した『圓朝』について語る。同君、これも上梓されたら演りたいと言う。ぜひ私も演ってもらいたい。今の世にもっとも我が愛するところの落語家は志ん生、文楽の二君。この両君と酔いては芸談を語り合う自分は、いろいろの意味で幸福なり。うれしくなって大いに飲む。酔って何べんか志ん生君と握手する。夜更け、水道橋方面の新色のところへ駆け付ける、さながら「つるつる」を地でいったような志ん太君と大塚駅で別れる。私もぐでんぐでんのトラだった。帰ってきた時十二時過ぎていたそうなり。

 十二月三十日。
 やはり今年中もう何も手につきそうになし。うちのものたち、朝から煤《すす》掃き。引き伸ばしの出きてきた写真を、額へ入れ替えたりしている。
『横浜市史稿――風俗篇』を寝床で読みながら、うつらうつら眠ってしまう。
 夕方、女房と輪飾り、門松などとげぬき地蔵の方へ買いに行く。生の鰻の頭をみつけ、買って帰る。
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あら玉の 春目の前に 根笹かな
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 夜、緑波君の「船長さん」の放送を聴くべく、今この炬燵へ。まだだいぶ時間があるのでこの日記を書く。誂えて松と梅と万両を壺へ活けさせたのを、そこへ花屋から届けてきた。すぐラジオセットの上へ飾る。我が家にもう新春《はる》がおとずれて来ていることを感じた。



底本:「寄席囃子 正岡容寄席随筆集」河出文庫、河出書房新社
   2007(平成19)年9月20日初版発行
底本の親本:「随筆 寄席風俗」三杏書院
   1943(昭和18)年10月刊
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月5日作成
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