ぎ改め江戸家はじめなどという、大道で猿股くらいしか売れそうにない、くだらない手合から決して寄席音曲のよき発達のみられよう訳がない、あんな普通のいい声[#「普通のいい声」に傍点](ということはたびたび繰り返すところだが、寄席音曲、第一の最大条件としてよき悪声[#「よき悪声」に傍点]でなければならぬから)で、そのくせべら棒に名人がっていかにも巧かろうといりもしないところでそっくり返ったりしてみせて、余徳はせいぜいチクオンキの製造所を儲けさせるくらいの功績で、なんの高座の音曲師なる名称が投げてやれようか。
初代三好の卑しくも美しき高座、万橘《まんきつ》の、あの狐憑きの気ちがい花のように狂喜|哄笑《こうしょう》するところ。「八笑人」のなかのひとりがぬけだしたかと思われる鯉《り》かんが鶯茶の羽織。――
都家歌六もそういうなか[#「なか」に傍点]のわずかに残った、ほんとうの寄席の音曲師だ! 春風亭楓枝[#「春風亭楓枝」に傍点]のみぎりには、「宇治中納言」なる噺をしばしば私は聞かされた。中納言が落語の鼻祖で、日々、家臣をあつめて聞かせる。「あるところに山があったと思え、そこから川があったと思え、そこで白酒を売っていたと思え、これで山川白酒[#「山川白酒」に傍点]とはどうじゃ。おかしいか」というと一同「げにおかしき次第と存じ上げます」殿様「しからば次へ下がって、苦しゅうない一同笑え」――そこで次の間で声を揃えて、「あははのはあ」と頓驚《とんきょう》な笑いで落《サゲ》になる。それから「箱根の関所」をやった。「あらとござい[#「あらとござい」に傍点]」という声の、今も忘れ得ぬ妙なおかしさ――。
※[#歌記号、1−3−28]東京の名所を知らないお方――を歌うと三代広重の開化三十六景が古びたおるごうるとともに展開され、※[#歌記号、1−3−28]ありがたいぞえ成田の不動――とありがた[#「ありがた」に傍点]節には愚昧でそぞろ哀れの深い、そのかみの東京人の安らかな生活の挽唄がある。※[#歌記号、1−3−28]高い山から――を踊ると鳴り物入らずの仕方たくさんで、阿蘭陀渡来の唐人踊りは※[#歌記号、1−3−28]さっさ唐でもよいわいな――と安政版の時花唄《はやりうた》を思わせる。あの時歌六の両の手が楽屋の鉦の音につれて棒のようになるのもいい。――改良剣舞源氏節で※[#歌記号、1−3−28]
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